変わるべきもの

変わるべきもの 2001_12_03

 

変わるべきもの。
それはコントローラー。
ゲームパッドと言うべきか。
新しいゲーム機が発売されるときはチャンスである。

『ピクミン』をプレイするには、右側のアナログスティックを使う必要があった。
ピクミンの隊列を制御しないと迷子がでたり、あるいは敵の餌食になってしまうのだ。
ゲームも中盤になる頃にはどうしても使わねばならない。
普段右指はボタンを押すことに使うので、これはなかなか難しいのだが。
ピクミンをオリマー(主人公)の周りに集めて高速投げをするときなんかは、どうやってやったらいいのかと苦慮した。

で、しげしげとコントローラーを眺めているうち、「ああ、このコントローラーにはそういう意味があったのか」と思った。
つまり「右指でアナログキーも使えますよ」ではなく、「右指を積極的にアナログキーに割り当ててください」ということなのだろう。
Aボタンだけ極端に大きくて、それ以外は使いにくいほどに小さい。
アナログキーから指をはなしてボタンを押しに行くとき、均等なボタン割り振りがされていると混乱するからではないか。
言い換えるとそれは、「今までとは違うゲームづくりをしてください」というクリエイターへのメッセージであり、「新しいゲームを楽しんでください」という私たちゲーマーへのメッセージでもある。

今ここで、なぜたくさんの新しいゲームが発売されるのかを考えてみることにする。
私たちは素晴らしいゲームを過去に数多く経験してきた。
そのゲームを楽しみ続ければ、新しいゲームなんかいらないはずである。
なぜ毎年何百本ものゲームが発売されるのか?

答えは「飽きるから」である。
ゲームは飽きる。
野球のゴロに同じゴロは2度ないが、ゲームの世界では同じゴロが何度でも起こる。
どれほど作り込んでも、やはり限界があるのだ。
人間の脳味噌には驚くべき学習能力があるのである。

しかし、次々と新しいゲームが発売されたとしても、ゲームが質的に変わらなかった場合どうなるのか?
この問いに対して、私たちは端的な例を挙げることができるはずだ。
「ファイナルファンタジー」シリーズはまさにそれである。
ゲームが質的に変わっていないから、変わっている点を目に見える形で示さなければならない。
だからより映像が綺麗になる。
演出が派手になる。
それ故に今ゲームは行き詰まりを見せているのではないのか?
お金も人材も贅沢に投入できるメーカーは限られているのである。

だったら、ゲームは質的に変わらなければならない。
その最たるものがコントローラーである。
入力デバイスが変わることで、脳味噌は新たな刺激を受ける。
プレイヤーの脳味噌に新たな回路を作らせることができるのだ。

その一方で、クリエイターは常にプレイヤーを把握しなければならない。
プレイヤーがどんな状況でプレイしているのかを100%把握したい。
となれば、コントローラーは一種類であることが望ましい。
そうでなければ、大多数のプレイヤーに支持されるゲームは創り得ない。

とするならば、ゲーム機の替わるるときがチャンスである。
ここしかない。

私はかつてSSからDCに替わるとき、コントローラーに互換性がないことを嘆いた。
64からGCに替わろうとする今も、3Dスティックに未練を持っている。
しかし、やはりコントローラーが変わるのは必然なのである。
ゲームは私たちに喜びを与え続けなければならないのだから。

もちろん、私たちには「パワプロは3Dスティックでなければならないんだ!」とか「3Dスティックはまだそのポテンシャルを発揮していないじゃないか!」といった抗弁も残されてはいるのだが・・・。


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