前作のことをエンディング以外何も覚えていなかった。 『The Last of Us Part II』について書いているときに、前作との繋がりを思い出そうとしても何も出てこないことに気付いたのである、私は。 こんなに文句を一杯書いているのに、前作のことを全く覚えていないなんて、さすがにマズいんじゃないか。 幸いにして『The Last of Us Remastered』が安価に手に入る。 一応やっておこうかと思ったのである、私は、特に期待もせず。 そしたら、これはやはり凄い作品だと気付かされることになった。 結末を知っていればこそ、このゲームが評価されたことがより納得できる。 全てのイベントが結末に向けて構成されているんだよ。 昔のゲームだから、もう全部書いちゃいます。 結論として、主人公は全人類の未来より自分にとって大切な人を採る決断をすることになる。 これは常識的に言えば、かなり難しい決断だ。 となれば、最後の最後でプレイヤーと主人公の気持ちを如何に一致させるか、が重要になるであろう。 だから、設定からイベントでのキャラの振る舞いに至るまで、全てを動員して丁寧にプレイヤーをそこへ誘導していく。 一番最初に娘が政府軍の兵士に殺される。 主人公であるジョエルは当然、政府の事なんか信じられないし、守るべきモノがなくなって、生きていること自体がやけっぱちみたいな状態からスタートする。 20年後、エリーを引き受けることになるけど、自分から引き受けたわけじゃない。 相棒がどうしてもと言うから引き受けて、その相棒が死んじゃったから、なし崩しに引き継いだだけ。 そこから結末まで一年。 よく言われることだけど、父性はすぐには育たない。 女性は子供を生んですぐに母性を獲得できるが、男性は長い時間かけて子供を育てることで父性を獲得していく、と。 ジョエルは最初はイヤイヤだったけど、敵からエリーを守り抜いていくうちに父性を獲得していくのだ。 その様を丁寧に描いていく。 大切なモノが出来るのが怖くなって、一度手放そうとするシーンもある。 そうすると、今度はエリーの方が父性を求めるような演出も入ってきて、より強く父性が育っていくのだ。 さらに、エリーは守るべき対象というだけでなく、相棒の役割もするようになるんだな。 ジョエルが重傷を負って動けない間、逆に一人でヤバイ奴らと戦って守ってくれた。 エリーはジョエルにとってかけがえのない存在になっていく。 こうなってくると、プレイヤーはジョエルと完全に一致することになる。 エリーを助ける以外の選択肢なんか無いんだよ。 手術室に運び込まれたエリーを助けるときに、銃を向けてきた医者を撃つシーンがあるんだけど、あそこで躊躇する人はほとんどいないんじゃないか。 いたらよほどの偏屈者だよ。 ここまでの全てが最後の選択に向けて創られていたから、最後に選択肢がないことにプレイヤーの大半は疑問を抱かなかったのだろうと思う。 振り返ってみると、メチャメチャベタな展開なのである。 でも、それをゲームでやらせることに意味があった。 だから極めて高く評価されたはず。 『2』では真逆のことをやったんだよ。 キャラクターとプレイヤーを乖離させるというね。 チャレンジ自体は褒められていいのかもしれないが、付き合わされるプレイヤーはいい迷惑だ。 |