これは私が高校生だった時の話。 美術の先生が突然「作品のタイトルって何だ?」と言い出した。 答えを右端の学生から一人一人聞いていくのである。 私も当てられた。 その時なんと答えたのか正確に思い出すことは出来ないのだが、「作品のテーマみたいなものをタイトルに付けるのではないか」とかなんとか答えたように記憶している。 当てられた学生の数が10人、20人となっても、先生は納得しない様子であった。 40人クラスの3分の2ぐらいまで来て、美術部に所属する女の子の答えが彼を納得させた。 「作品のタイトルとは、作品を識別するためのものです」 彼は我が意を得たりとばかりに、こう言い放つのだった。 「そうだ。タイトルなんてのは、極端な話、『1』でも『2』でもいいんだ!」と。 なぜ彼がそんな話をし始めたのかは思い出せないが、割と印象に残っているエピソードである。 ちなみにその美術部の女の子が、学年一かわいいと評判だったりとか、胸がとても大きかったとかは、また別の話。 私はその時、「まあ、それはそうなんだけど、それはそれでどうなの?」とか思ったような思わなかったような・・・。 少なくとも、タイトルには何かしらの思いが込められているんじゃないの?、と今は思う。 どうしてこんなことを書いているかというと、私が『シルバー事件』をプレイして、これは『カムイ事件』と名付けた方が良いじゃないの?と思ったからだ。 『シルバー事件』とは、1999年にアスキーから発売されたPS用アドベンチャーゲーム。(特殊な刑事物) 『花と太陽と雨と』をプレイした私は、どうしてもこれをやらねばならなかった。 この作品は「須田剛一」が独立して初めて作った作品であり、『花と太陽と雨と』とベースでつながっているらしいのだ。 煙に巻かれたまま黙っていられるほど私はお人好しではない。 『シルバー事件』は全5話+αで構成されている。 その一つ一つの話は、私にはある種の風刺のようにしか思えなかった。 一話ごとに解明していくことにあまり価値を感じなかったので、「須田剛一」という人物は結局何が言いたいのか?ということを考えながら私はプレイを進めていった。 ところが、私はここで行き詰まってしまったのである。 ゲーム中に描かれているのは『カムイ事件』とでも呼ぶべき事態であって(勝手に命名)、『シルバー事件』についてはほとんど語られていない。 『カムイ事件』は『シルバー事件』の単なる副作用なのではないか。 つまり、このゲームを『カムイ事件』だと捉える場合と『シルバー事件』と捉える場合とでは、メッセージが違うのではないか、と思ったのだ。 これは全くの私見だが、これが『シルバー事件』だとするならば、おそらく彼の言わんとするところは、「我々は柵の中で繁殖させられた家畜みたいなものだ」ということなのではないか。(『花と太陽と雨と』の合わせ技で) もちろん家畜は家畜なりに生きようとする訳なのだが。 一方、これを『カムイ事件』だとするならば、「人はイレギュラーなものだ」とでも言っているのかもしれない。(「カムイが転移する」ということに私は理由付けが出来なかった) 果たして『シルバー事件』と『カムイ事件』は一本の軸で考えられるものか否か? ひょっとすると、『カムイ事件』は『シルバー事件』のホンの序章にすぎないのかもしれない。 『カムイ事件』は『シルバー事件』の副作用ではなく、反作用であり、本来先に書くべき作用の前に反作用だけ書いた、と考えれば納得できないこともない。 いや、そう考えないと納得できない。 であればこそ、タイトルが『シルバー事件』になったんじゃないか。 全ては「須田剛一」の胸一つに託されているわけなのだが・・・。 今のところ、この辺が精一杯。 どうやら私はまた煙に巻かれてしまったようだ。 連敗である。 <補足> 古い作品なので、中身を書いちゃおうかなとも思ったのですが、止めておきました。 多分これからも迷える子羊たちがこのゲームに出会うでしょうから。 私はこの作品を多くの人にやって欲しいとは決して思いません。 しかし、手に入れるのならば、早いほうがいいかも知れません。 ベスト版が定価2000円で出ています。 アスキーがゲーム事業から撤退することになったので、今後再プレスされることはないかも。 |