これほどの「やさしさ」は、いままでお目にかかったことがない。 なんというゲームなんだ、この『マリオストーリー』というゲームは。 もちろんこの「やさしさ」というのは、難易度の事を言っているのではない。 以前からやろうやろうと思いながら、やらず終いになりかけていた。 そんなに凄いゲームだという話も耳に入らなかったし。 実は「ソニック」のあり方を考える材料として、ちょっとやってみようかな、というのが今回のきっかけだったのだ。 キャラをガチガチに固めていいのか?ということを考えてみたかったのである。 「ソニック」と比較対照すべきキャラといえば、やはり「マリオ」しかなかった。 しかし、そんな事はどうでもいいな、という気がしている。 技術的にいえば、やはりキャラを平面で描いて、3Dの舞台においてみたところに素晴らしさがある。 キャラを3Dで創ってしまったら64の性能では苦しいだろう。 そして、平面で描いたればこそ、このやさしさがひきだされたのだ。 いまのところ、3Dでこの表現は出来まい。 縁取りを広めにとってクレヨンで描いたような雰囲気を出す手法は、今までもしばしば採られてきた。 しかし、それだけではない。 その表情。 その仕種。 その語り口。 その効果音。 その全てがやさしい。 私は、キノピオが少し上を向いて話したり、ティングがゆらゆらと飛び回ったり、ヘイホーが攻撃に失敗するのを見るたびに、このゲームはなんて凄いんだろう!と感動せざる得なかった。 この『マリオストーリー』という世界に浸っているのは、本当に気持ちいいのだ。 エンディングを迎えたくない、という気すらしているくらいである。 どうしたらこんなゲームを創ることが出来るんだろう? 私は自分のどこかを切り出して、こんなやさしさを抽出できるだろうかと考えてみたが、どうも無理そうに思える。 しかしながら、幸いにしてこのやさしさを感じることは出来たのである。 それだけでも良かったか・・、と思ったりもする。 <後日談 2001_09_09> エンディングを迎えた。 最後の最後まで、やさしさに貫かれたゲームだったと記録しておきたい。 私は、人は滅びの種だと思っている。 人間という生き物はマトモじゃない。 こんな世界に生まれてきて可哀想に・・・、と私は小さな子供のあどけない瞳を見るたびに思わざる得ない。 しかし、人はこれほどのやさしさを創り出すことができた。 これほどのやさしさを創り出すことが出来、それを感じ取っていけるならば、あるいは人は全ての艱難に立ち向かっていけるかもしれない。 エンディングを眺めながら思った。 <訂正> 「クレヨンで描いたような雰囲気を出す手法」というのは、間違っているような気がしてきた。 拡大したときに綺麗に見えるように、縁を広めに取ったのではないか。 |