PSVitaの背面タッチパネルを使ったまともなゲームを初めてプレイした。 全部フォローしてるわけじゃないから、私が知らないだけかもしれないが。 まあそれはそれとして、下から飛び出してくる指を見て、なるほど、と私は思った。 だから紙なのか。 突き破れないといけないからね。 おそらくプラットフォームホルダーとしての責務を果たすために創られたのが、この『TEARAWAY はがれた世界の大冒険』なんだろう、と私は勝手に納得していた。 しかし、それはいかにも底の浅い見解であった。 その程度じゃない。 これはなかなか素晴らしい作品だったな。 この話を書くにはどうしてもラストに触れないわけにはいかないので、これからプレイするつもりのある方は続きを読んではいけません。 この『TEARAWAY はがれた世界の大冒険』がどんなゲームなのかは説明しない。 私が書きたいのは、設定の上手さだ。 プレイヤーは神である。 ゲーム機の外側からゲームに干渉する存在なのだ。 これは同一性の観点から導かれたのかもしれない。 しかしここで面白いのが、主人公が手紙であるということ。 プレイヤーは神であり、主人公でもある、というのはちょっとおかしい感じもするのだが、手紙ってところがミソなんだよ。 神様であるところのプレイヤーが自分に宛てた手紙。 その手紙に何が書かれているのか? それは、今まさに自分がやっている冒険。 自分に宛てたこの手紙は、自分が紡いだ物語そのものだ、って言われたときに、なんかこう胸が熱くなるんだよ。 ゲームを面白くするのも、つまらなくするのも、自分次第だからね。 クリアしたとき、すごく感動したな。 思わず涙が出てしまった。 でも、別に大きな困難を乗り越えたわけじゃない。 簡単だった。 アクションゲームとしての出来も決して良くはない。 足場や敵の配置なんかはぞんざいだ。 詰めの甘さは無制限コンティニューで補っている。 肝心の物語だって、自分の物語、という割にはほぼ一本道。 しかしながら、設定とデザイン・キャラクターを含めた雰囲気の前には、そんなモノはどうでもよくなってしまったんだ。 いや、良かったなあっていう、ただそれだけ。 |