3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!

ゲームが教師 2004_10_27

 

私はこのところ『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』にハマっていた。
本当ならば口を極めてこのゲームを褒めなければいけないんだけど、実のところそんなことはあんまり書きたくない。
このゲームの何が面白いのかについて考えているうちに、だんだん腹が立ってきたのである。

私はまず教師という職業の魅力について考えていた。
教職課程に進んでも、実際の採用枠は極めて少ない。
おまけに最近はゴシップ記事にされるときだけ聖職者で、平素全く尊敬されない。
給料は普通の公務員とほぼ同じだから、単に安定を求めるだけなら公務員試験でも受けた方が良さそうである。
にもかかわらず、希望者が非常に多いのは教師という職業に魅力があるからだろう。
もし、教師に魅力があるのだとすれば、そこがゲームになるはずだ。

じゃあ、教師の魅力ってなんなのか?
私が思うに、教師の魅力ってのは人に影響を与えることが出来るところにあるんじゃないか。
誰か別の人間の人格形成に影響を与えることが出来るって凄く魅力的なんだ。
だって、それは自分の存在意義を確かめることにもなるから。

ところが、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』はあくまでドラマなのである。
主人公である臨時教師は筋書き通りに動くだけだ。
教師の魅力を狭義のゲームにしたワケじゃないのである。

と、ここでは私は、やられた!と思った。
このゲーム面白いなあ、と思っている自分が影響を受けているのだ。
つまりこのゲームが教師なんだな。
教師の喜びを感じているのはプレイヤーではなく、創った人たちなんだよ。
まったくハメられた。
だから、面白いな、よくできてるな、と思えば思うほど腹が立つ。

違うんだよ、影響を与えたいんだよ、与えられたいんじゃないだよ、と私は叫びたくなった。
おおよそ表現するってのはそういうことなんだ。
私がこうやって書いているのだって、読む人がなんか感じるだろうな、と思うから書いている部分は当然にあるのである。






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