久遠の絆

いつか才能はここに集う 2000_06_17

    

私はいま「久遠の絆」(DC版)をプレイしている。
飛び抜けて文章が素晴らしい!というわけではないし、まあ、平たくいえば
ギャルゲーなのだ。
しかし、輪廻を軸にすることで、このゲームは恋愛ものでありながら、壮大
なストーリーを紡ぎあげている。
このゲームがギャルゲーを作るところから始まったのか、それとも物語から
始まったのか、それはわからない。
だが、これはある種の才能だ、と思った。
私はなんだかとてもこのゲームに惹かれていて、大満足しているのだ。
そんな私が考えたことを少し書いておきたい。

私は以前から思っていたことがあった。
それは、最近のゲームミュージックは、いわゆるポップスといわれるものと
質的に大して変わらないところまで来ているな、ということだった。
もちろんゲームをフィーチャーしていることが多いので、歌詞はおしなべて
それっぽいのだが。
私はゲームミュージックのレベルが上がってきたことに対して、こう理由付
けしていたのだ。
つまり、音楽を志す人のすそ野が広がってきたのだと。
すそ野が広がってきたからこそ、質の高いクリエーターがゲームの領域にも
登場してきたのだと考えていた。

しかし、どうもそれは思い違いのような気がしてきた。
決してメインストリームをはずれた人が入り込んできている訳じゃない。
それだけでは説明できない才能が目の前にある。
分野こそ違え、それは同じことだ。
才能はいまここを目指しはじめたのではないだろうか?
ここというのは、つまりこのゲームの世界だ。
「久遠の絆」のテキストを読んでいて、そう感じた。

もちろん今はまだ過渡の段階だろう。
TVドラマの脚本家がゲーム作りに参画しても、人気歌手が主題歌を提供し
ても話題になる。
だが、いつかそれは当たり前のことになるのではないか。
ゲームが全てのエンターテイメントを吸収し、融合して、全ての才能を発揮
する場になる日がいつか訪れるだろう。
それは以前にも書いてきた、私が恐れる「この世界の終わり」を意味するの
かもしれないのだが。


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