3Dの負荷を考えていたら、3DSで任天堂がやろうとしていることが見えた・・・ような気がした。 確か今日6月15日、E3開幕だよな。 これ書くなら、いま書かなきゃならない。 当たるにせよ外れるにせよ、時間が経てばあまり意味のないことになるだろう。 ゲームの世界はインフレしてきた。 前にも書いたことがあるけど、プレイヤーが払う努力に対して見返りがどんどん大きくなっているのだ。 ストーリー上の結果に価値を持たせたり、アイテムの効果を大きくしたり、見栄えが派手になったり、要するに創り手の手間は日に日に増加することとなった。 ところが、インフレも限界に来て、とうとう負荷、つまりゲーム自体を減らしてしまうものが多くなってきた。 これは単位負荷あたりの喜びを大きくするために、負荷を小さくするアプローチだな。 娯楽なんだから、それも別に悪くはない。 我々はテレビ観てバカ笑いしてるだけで満足できることもある。 しかし、任天堂が初心者だけでなくゲーマーにも支持されてきた理由はなんと言っても、きちんと負荷を提供してきたからだ。 見た目でごまかしてこなかった。 今回の『2』でもステージを一杯作って目先を変えていることからも分かるように、任天堂ですらインフレからは逃れられないけど、それでもギリギリ踏ん張ってきた。 ある程度負荷を乗り越えないと人間は誇らしい気持ちにはならない。 あんまり難しいことを一般のユーザーが考えているわけではないにしても、任天堂の譲れない一線は誰もが感じてきたことだと思う。 ところが、である。 今回の『2』なんかをやっていると、任天堂は3Dであること自体に相当大きな負荷があると考えていることが分かる。 そうすると、創り手が想定する負荷のうち3Dによる部分が下駄を履いてしまって、その上に本来提供したいゲームを積むことが出来なってしまう。 だから、慣れてる人には簡単に感じるんだよな。 慣れてる人は下駄が外れてるから。 この下駄をあらゆるプレイヤーに対して外したい、そうすれば本来提供したいゲームに注力できるんじゃないか。 そういう考え方はあり得るだろう。 残念なことに私は裸眼3Dって見たことがないのだが、理論的には普通の3Dテレビなんかよりも左右の視差は大きいだろう。 焦点が近いわけだから。 視差が大きいって事はそれだけ多くの空間情報を含んでいるということだよな。 おそらく、例えば同じ『スーパーマリオギャラクシー2』をやるにしても、相当位置関係がわかりやすくなるんじゃないか。 それによって、3Dの下駄が外れる可能性があるんじゃないか、と私は思うのである。 任天堂ともあろうものが3Dディスプレイなんて意味のないものを、なぜこのタイミングで携帯ゲーム機に積んでくるのか、私は不思議で仕方なかった。 たぶん3Dは世間の耳目を集めるために先に発表しただけで、メインはマルチタッチとか、傾き・加速度センサーとか、インターフェイスがらみの改良なんだろうと思っていたのだが、ひょっとしたら違うのか。 負荷の上積みを狙うための3Dっていうのはあり得るかもしれない。 もしそうなら、またさすがは任天堂!と唸ることになるだろうな。 これを書いている時点では、どうなるのことか全く分からないけど。 <後日談 2010_06_16> ニンテンドー3DSが発表された。 噂されていたものより、低解像度だったみたいだ。 ハード面からだけじゃなく、ゲーム開発コストから見ても、任天堂らしい選択だった。 ipadと戦うつもりは全くないらしい。 結局3Dに関してはよく判らない。 3Dの強弱を自分で調節できるらしいが、私が言っている空間情報ってのはそういう意味じゃないからな。 プレイヤーの見ている距離が近いと想定されるから、画像を生成する段階で右目と左目の角度差が大きくとれる。 右目と左目の情報差分が大きい方が空間情報は大きくなるはずだから、携帯ゲーム機の方が3Dに向いているんじゃないか、という話。 関係ないのかな? 3Dなら何でもイイ、ということであれば、据え置きでも3D化しなきゃいけないはずだが・・・。 |