オペレーターズサイド

シンクロ感 2003_11_27

 

まいったな、こりゃ。
メチャメチャ面白かった、『オペレーターズサイド』。
悔しいことにPS2の作品だし、あまつさえSCEIの作品だ。
しかも外注じゃない。
ボロアパートで声を出すと近所迷惑なので夜中はプレイできなかったが、それでも4日で終わってしまった。
悔しいけど認めざるを得ない。

この『オペレーターズサイド』はマイクを使ってプレイするということで、非常に話題になった作品である。
ただ、マイク同梱版を買うとそれなりに高かったりするので、驚くほど売れたわけではないようだが。

しかし、このゲームは違う。
マイクを使ってプレイする、ということに惑わされてはいけない。
マイクを使ってプレイするのは重要なことだが、それはこのゲームをここまで素晴らしくしたことの決定的要因ではない。
音声認識をゲームにどうやって組み込むのかと考えたときに、主人公をオペレーターにしてやったらいいと思いついたところが素晴らしいんだ。
驚くべきことに、この主人公とプレイヤー、つまり私は全く同一なのである。

通常ゲームをするとき、私たちは主人公を操る。
しかし、主人公とプレイヤーは全く同じことをしているわけではない。
私たちはボタンを押すだけでパンチを放つことも出来れば、選択肢を選ぶだけで謎を解くことも出来るわけだ。

ところが、オペレータールームに閉じこめられた主人公がすることと、私たちが画面を見ながらすることは全く同じなのだ。
画面を見て、ボタンを押して、リオに語りかける。(リオはヒロイン兼現場担当)
まさに自分がドアのロックを解除し、シャッターを閉じ、リオを励まし、リオに励まされているわけである。
このシンクロ感。
スゲーな、と思ったな。

たとえば、「バイオハザード」みたいな形式で、自分を音声で操作するゲームだって考えられなくもない。
でも、それでは単に音声認識のもどかしさをプレイヤーを押しつけるだけだろう。
オペレータールームにいる主人公を設定したところが、このゲームの素晴らしいところだ。
音声認識が必然的に必要になるのだから。

おそらく私が思うに、このゲームは音声認識からスタートしている。
これをなんかに使ってやろう、という発想なんじゃないか。
そこで単に音声認識自体をゲームにすることに留まらせず、プレイヤーを劇中の人物にシンクロさせるための効果として使って見せた。
ここが素晴らしいんだ。
ホントに面白かったな。

こんなことを書いても、このゲームを知らない人にはなんのことかわからないだろう。
残念なことに、私にはこの『オペレーターズサイド』という作品を説明する意欲はないし、とりあえずやってみれ!と言うことも出来ない。
PS2用だからね。
これもまた弱った話である。



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