まいったな、こりゃ。 メチャメチャ面白かった、『オペレーターズサイド』。 悔しいことにPS2の作品だし、あまつさえSCEIの作品だ。 しかも外注じゃない。 ボロアパートで声を出すと近所迷惑なので夜中はプレイできなかったが、それでも4日で終わってしまった。 悔しいけど認めざるを得ない。 この『オペレーターズサイド』はマイクを使ってプレイするということで、非常に話題になった作品である。 ただ、マイク同梱版を買うとそれなりに高かったりするので、驚くほど売れたわけではないようだが。 しかし、このゲームは違う。 マイクを使ってプレイする、ということに惑わされてはいけない。 マイクを使ってプレイするのは重要なことだが、それはこのゲームをここまで素晴らしくしたことの決定的要因ではない。 音声認識をゲームにどうやって組み込むのかと考えたときに、主人公をオペレーターにしてやったらいいと思いついたところが素晴らしいんだ。 驚くべきことに、この主人公とプレイヤー、つまり私は全く同一なのである。 通常ゲームをするとき、私たちは主人公を操る。 しかし、主人公とプレイヤーは全く同じことをしているわけではない。 私たちはボタンを押すだけでパンチを放つことも出来れば、選択肢を選ぶだけで謎を解くことも出来るわけだ。 ところが、オペレータールームに閉じこめられた主人公がすることと、私たちが画面を見ながらすることは全く同じなのだ。 画面を見て、ボタンを押して、リオに語りかける。(リオはヒロイン兼現場担当) まさに自分がドアのロックを解除し、シャッターを閉じ、リオを励まし、リオに励まされているわけである。 このシンクロ感。 スゲーな、と思ったな。 たとえば、「バイオハザード」みたいな形式で、自分を音声で操作するゲームだって考えられなくもない。 でも、それでは単に音声認識のもどかしさをプレイヤーを押しつけるだけだろう。 オペレータールームにいる主人公を設定したところが、このゲームの素晴らしいところだ。 音声認識が必然的に必要になるのだから。 おそらく私が思うに、このゲームは音声認識からスタートしている。 これをなんかに使ってやろう、という発想なんじゃないか。 そこで単に音声認識自体をゲームにすることに留まらせず、プレイヤーを劇中の人物にシンクロさせるための効果として使って見せた。 ここが素晴らしいんだ。 ホントに面白かったな。 こんなことを書いても、このゲームを知らない人にはなんのことかわからないだろう。 残念なことに、私にはこの『オペレーターズサイド』という作品を説明する意欲はないし、とりあえずやってみれ!と言うことも出来ない。 PS2用だからね。 これもまた弱った話である。 |