こんな馬鹿なっ! こんなはずはない。 こんな事はあってはならないのだ。 私はどうしても確かめなければならないと思った。 PS2を買ったら、第1弾は絶対『シルフィード』にしようと考えていた。 かつて遊び尽くしたゲームがどう進化を遂げているのか知りたかった。 FF9が現れるまでは、PS2を積極的に買う理由は他になかったのである。 ところが・・・、である。 プレイしてみて驚いたことには、全く面白くなかった。 確かにデモなんかを見ると『シルフィード』らしいのだが、どうも違う。 何かが違うのである。 私は常々こう思っている。 ゲームはいつだって今が面白い。 昔のゲームの方が面白かったんじゃないか、なんて思うときもあるが、それはゲームを楽しむことが出来た過去の自分を思い出すからだろうと考え直す。 私がいま感じている『シルフィード』への思いは、果たしてどうなのだろうか? 私はどうしても確かめなければならなかったのだ。 5年前に引っ越して以来、一度も触ることの無かったMDとMCDを、私は押入から取り出した。 果たして動くのだろうか?と思いながら、セッティングしてみると意外にあっけなく動いた。 しかし、『シルフィード』は、頻繁に読みとりミスを起こす。 ディスクを確かめてみると、白い膜のようなものが読み取り面に出来ていた。 そのことは、入れっぱなしだった5年という長い年月を私に思わせた。 その後、レンズのクリーニング液をつけて拭き取ると、嘘のように『シルフィード』は動き始めた。 昔取った杵柄である。 3回目のプレイでエンディングまで辿り着くことが出来た。 なるほど、面白い。 私の記憶の中の『シルフィード』と比べると、4色パレットで描いた様な画面は貧弱に見えたが、それでも面白さは変わることがなかったのだ。 『シルフィード』の面白さとはなんなのか? それは「雑魚キャラ倒し」である。 トリッキーな動き・弾の吐き出しを行う雑魚との戦いがこのゲームのメインである。 逃げるとかえって餌食になる。 これだけ捉えにくい雑魚が出てくるシューティングゲームは他に類がないだろう。 しかし、それは88版の『シルフィード』でも同じだった。 MCD版の『シルフィード』はある一点を除いて、ほぼ同じだったのである。 その一点とは背景のムービーだ。 しかも当たり判定がある。 それはMCDという、CDを媒体にしたゲームだから可能な試みだった。 つまり、そこが『シルフィード』というゲームへの足がかりになったわけだ。 それまでにない技術的なアドバンテージとゲームの面白さが一体になっていたから、得点稼ぎをするところまで自分を持っていけたに違いない。 翻ってPS2版の『シルフィード』を考えてみる。 技術的なアドバンテージはあるのか? ない。 見た目は従来のものより綺麗になってはいるが、背景を3Dで描くという試みは既にいくらも例があり、凄いとは思えない。 雑魚キャラ倒しはどうか? ダメだ。 自機との距離に応じて得点が変わるシステムを採用しているせいか、敵がいったん止まるような動きをする。 倒すだけなら簡単だけど、スコアをねらうと難しいでしょ?という線を狙っているんだろうが、おかげでテンポが悪く間延びしている。 これのどこが『シルフィード』なのか? 『シルフィード』というゲームはいつもゲームが進化を遂げる時に現れてきた。 PC8801SRの登場によって、疑似3D空間を演出できるようになった。 MCDの登場により、ムービーとポリゴンを重ね合わせられるようになった。 じゃあ、PS2の登場によって、何が出来るようになったのか? 何をしようと思って作ったのか? そこが見えない。 間に合わせのゲームに『シルフィード』という名を冠するな!という怒りすら覚える。 今回ばかりは私が感じたことの方が正しい。 MCD版『シルフィード』の方が遙かに面白いのである。 <追補> MCD版の『シルフィード』の背景はムービーかポリゴンか? 当時の雑誌なんかではポリゴンだって書いてあったが、信じられない。 いくらなんでもMCDの力であれだけの出力があるとは思えない。 多分ムービーなんだろう、という推測の元に本文は書かれています。 |