タッチ! カービィ スーパーレインボー

相対的な損得勘定 2015_02_02-03

 

どこかに書いた記憶があるんだ。
DSの初期の頃に、タッチパネルを使うと「〜がやる」から「〜をやる」に変わるっていう話を。
メンド臭くて昔書いた話を調べる気にならないんだが。
あの着眼は割とイイ線行ってたんじゃないか、という気がしてきた。
『タッチ! カービィ スーパーレインボー』をプレイして、私が感じていたことを説明できるんじゃないかと思うのである。

『タッチ! カービィ スーパーレインボー』をやり始めると、最初は、あれっ?って思うんだよ。
これ、ダメなんじゃね?って。
タッチペンを使ってカービィをコントロールするんだけど、感覚としては、スピードの遅いソニックをやってるような感じで、やりにくい上に間延びしている。
感圧式の大きい一画面を使った、正に私が望んでいた作品のはずだったのに、コレジャナイ感が凄く強かった。
しかし、もうちょいプレイを進めていくと、戦車や潜水艦に変身するステージが出てきて、その段になってやっと面白く感じられた。
こいつらは大砲やら魚雷を撃つ。
そこで気付いたんだ。
操作に相対的な損得勘定が働いているんじゃないかって。

通常、我々は自キャラを操作する。
自キャラってぐらいだから当たり前だけど。
コントローラーで自キャラを操作することに慣れているから、わざわざタッチペンという別の操作系をもってこられても、全然得したようには感じられない。
でも、自キャラ以外はそうじゃない。
自キャラを操作して、障害物なり敵なりに何らかのアクションをするのが普通であり、大抵はそこにゲームが入っている。
そこをタッチ操作に置き換えると楽になるよね。
見たままの位置をタッチすればいいわけだから。
もし仮に得られる喜びが同じだとすれば、タッチパネルを使うことにメリットがあると言えるかもしれないな。

ゲームってのは負荷、あるいは負荷の設計であって、負荷を乗り越える代わりにクリア出来たら現実の世界にあるゲーム以上に喜びを感じられるのがテレビゲームである。
操作が簡単であればいいわけじゃない。
わざと操作しにくくした方が面白くなる、と創り手が考えることもあり得るだろう。
要するに苦労の割に喜びが大きくなるように設計されていればいいはずだ。
しかし、クリアするまでは喜びが大きいかどうかは分からないから、自キャラをタッチペンで操作すると凄く損した気持ちになるんじゃないか。

『タッチ! カービィ スーパーレインボー』をプレイすると、最初はすごく印象わるいんじゃないかな、私がそうだったように。
慣れもあるし、得られる喜びが分かってくれば、なかなか面白くなってくるんだが。
エンディングまで辿り着いたときは、それなりに満足できたよ。


戻る