人間に与えられているのは太陽だけだ。 私はいつも思う。 生きとし生けるもの全ては太陽の恩恵を受けているのだ。 私たちの食べているものは全て太陽エネルギーが変化したものだと言って差し支えなく、その結果、私たち人間の体もまた太陽エネルギーが変化したものと言える。(分子の結合エネルギーに変化する) また、人間に至ってはその消費しているエネルギーの大半が太陽エネルギーを源とするものである。 化石燃料だって一般的な学説が正しいとすれば、太古の動植物のなれの果てであり、それらもまた太陽が源である。(生物がバッテリーの役割をはたしている) 私たちは太陽に生かされているのだ。 私たちは「太陽の子供達」と自称せねばならないくらいであろう。 そんな太陽を無理矢理使わせるゲームがある。 『ボクらの太陽』がそれだ。 私は凄く興味があった。 太陽がでてるときでないと進められないゲームなんて、単に時間的・場所的な制限を課しているだけで、それがゲームの喜びに一体どう貢献するというのか。 実のところ、意味ねぇんじゃねぇの?というネガティブな見解による興味だったのだが。 ようやく『続・ボクらの太陽』をプレイし終えて、一つだけ言えることがある。 太陽を使うことには意味があった。 本当に太陽の力を感じるんだ。 ヴァンパイアが日光に弱い、といっても、ゲームの中でただ光に当たっただけでは、単にヴァンパイアの特性を示しているに過ぎない。 ところが、実際に光に当たってプレイしてみると、なるほど太陽の力だな、という感覚があるのである。 これはひどく生な感覚なのだ。 光の強さによってダメージも変わってくるから尚更である。 プレイして、これは凄くいいゲームだな、という感触があった。 ただ、太陽光が必要になる場面が多々あることは、プレイを進めていく上で大きな困難であったことも確かである。 早起きして時間を作らなければ、土日以外プレイ出来なかった。 それも夏のうちは早い時間に陽が当たらなくなってしまうので、休日でも早起きしなければならなかった。(私の部屋は10時くらいで窓際まで光が届かなくなる、夏場は) 如何に子供向けとはいえ、よく創ったな、こんなに制限のあるゲームを。 きっとこのゲームを創った人は意地っ張りなんだろう。 プレイしながらそんな気がしていた。 ほとんど一本道なんだけど、意外と誘導の弱さを感じることが多かったから。 プレイヤーに媚びてないんだ。 おそらく「こうやって遊んで欲しいんだ!」という思いを込めて創ったんだろうな。 あるいは、多分に教育的な意味合いがあるやもしれない。 タイトルからもそれは読み取ることができる。 |