マジカルバケーション 5つの星がならぶとき

ひと夏の冒険 2006_07_26

 

『マジカルバケーション 5つの星がならぶとき』が終わった。
終える前は、2画面の弊害の話でも書こうかな、と思っていたのだが、やっぱりそれはつまらないことだな。
ああいうエンディングはいささか卑怯っくさいけど、私に「つまらないことだ」と感じさせる力はあった。
つまらないことを書いても仕方ないので、別のことを書きたい。

前作もそうだったが、今回の『5つの星がならぶとき』でも仲間のエピソードを組み込まない。
キャラ数は前作から半減したのだが、この構成は変わらなかった。
私はこの点が凄く好き。
話がコンパクトにまとまるから。

大抵の場合、最初に仲間を集めるRPGでは、各キャラの背景を説明するためのイベントが入っている。
仲間が多ければ多いほどそのイベントは数が多くなるので、しばしば間延びして感じられるモノである。
『5つの星がならぶとき』でも最初に仲間集めイベントがあるのだが、各星を説明することに割り当てられていて、キャラの背景を説明する役割は担っていない。
あくまでキャラはメインストーリー上の受け答えだけで立てていくのだ。
面白いやり方だな。
このシナリオを書いている人のセンスは私とマッチするらしくて、短いひと言ひと言に感心しながらプレイを進めていった。

ところが、最後になってやっと判ったのである。
なんでキャラの背景を書かないのか。

当たり前なんだよ。
この子達はもともとタロタロ星系を救う宿命なんか持ってないんだから。
たまたま遊んでたら、ロケットが飛んじゃっただけ。
もちろん勇者でもなんでもない。
魔法学校に通うただの子供たちなのだ。
冒険の日々が終われば、また学校へ通う毎日に戻る。
しかし、その冒険は、思いがけず多くの人を救い、あるいは救いたいと思いながら救うべき人を救えなかった冒険は、子供たちに何かしら影響を与えた。
どうやら、ひと夏の冒険は実りあるものになったね・・・、という話のようである。(夏ってのは私が勝手に入れただけ)
冒険が始まる前のストーリーなんてのはどうでも良いんですよ。

エンディングを眺めながら私が考えていたことは、なるほど、ということである。
「マジカルバケーション」ってのは、そういうことなんだね。


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