好きになること、臆病になること

好きになること、臆病になること '98_11_27

        

好きになるということは、臆病になることなんじゃないか?
そう感じたことがある。

かつて私は、ゲームのお勧めをセガのBBSに書いていた。
ある日思った。
これでは、私の書いていることは嘘になってしまうのではないか?
それは「蒼穹紅蓮隊」について、書いて書いて書き続けた頃のことだ。
私がその面白さを書けば書くほどに、自分の言葉が空々しく感じられるのではないかと怖くなった。

実はそれ以前にも、「シャイニング・ザ・ホーリーアーク」について書いていたときにも似たような気持ちになったことがある。
そのときには、その不安は成文化されていなかったのだが。

そして、「ゆけゆけ!!トラブルメーカーズ」について書いているとき、はっきりとそのことに気づいた。
自分がそのゲームを好きになればなるほどに、自分の書いていることが他の人に伝わるのか、不安で仕方なくなる。
もし、「面白くないじゃん」なんていわれたらどうしよう?
自分の好きなゲームについて書きたいという気持ちと不安の狭間で、私はいつしか本当の言葉を失った。

サターンについてもそうだった。
自分がサターンを偏愛すればするほど、自分はサターンのゲームについて言及してはいけないような気がしていた。
私はサターンのゲームについて書かなくなった。

好きになるということは苦しいことなのか?
たとえその対象がゲームであっても、それは変わることがないはず。
それは私の実感なのだ。


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