『パワプロ11』のサクセスはラクで楽しいな。 今回は本当にラクチンなのである。 しかし、同時にこれは自殺行為だな、という気もしていた。 今後これ以上の負荷をプレイヤーにかけることは出来なくなってしまったのだ。 きっと興味のある人なら私が説明するまでもなく、『パワプロ11』のサクセスが短くなったということを知っているだろう。 たとえ知っていないとしても、私には説明する熱意がないので、知っていることにしておいて欲しい。 これは結局のところ、出来るだけ負荷を減らして欲しい、という要請がプレイヤー側であったのだと私は思う。 プレイヤーが望む形にゲームはつくられるのだ、特に続編ものは。 しかし、負荷を減らすと、本来は喜びも減少するはずなのである。 ゲームの喜びは困難を乗り越えることにあるのだから。 ところが、プレイヤー側は負荷に耐えられなくなっているので、喜びを別のところで調達してこなければならない。 その結果どうなるかというと、サクセスにシナリオを大量に織り込むことになる。 別の種類の喜びで誤魔化しにかかるわけだ。 この辺の事情は、なんか「ときメモ」が辿った道に似てるような気がするな。(この話は以前書いた) こうやってプレイヤーの要求に応えていくと、次第にゲームを提供できなくなっていくんだ。 プレイヤーは負荷を減らしてくれ!減らしてくれ!と主張する。 自分で自分の首を絞めているとも知らずに。 おそらく、次は全日本編でもフルイニング戦うのは面倒だ!とか、要求が出てくるだろう。 本来ならば、開発者の皆様にはプレイヤーの要求を突っぱねてもらいたいところである。 しかしながら、実際にはそうもいかない。 ゲームのライバルがゲームだけならばいいのだが、ゲームのライバルはテレビ、携帯電話、映画、音楽、メールと多岐にわたる。 いまは娯楽がユーザーを奪い合う時代なので、ゲームだけが意地を張るわけにはいかないのである。 元々プレイヤーに負荷を強いるゲームは分が悪いのだ。 他の娯楽がラクで楽しければ、ゲームもラクで楽しくなっていく定めである。 『パワプロ11』のサクセスはラクで、楽しいことは楽しい。 一通りプレイしてきて、面白かったなと思う。 ただ、これでいいんかいな、とも思うのである。 ヘビーゲーマーが難しいバランス取りを褒めたりするのが私は大嫌いだけど、ここまで来ると少し主張した方がいいかもしれない。 創り手からすれば、サクセスを中心にやるプレイヤーとペナントを中心にやるプレイヤーに割ってしまおう、という腹なのかもしれないが。 |