PS4でいま遊ぶとしたら、これしかない!というのが『Detroit: Become Human』。 他には何も見当たらなかったな。 それでも私はあんまりプレイしたくなかった。 というのも、あまりにも擦られてきたテーマだから。 アンドロイドが自我に目覚める話なんてのは、既に一杯知ってるわけでしょ、我々は。 しかも映画だったら2時間で終わるところを、おそらく10時間とか15時間かけてやるなんて馬鹿げているような気もした。 でも、やるしかないんだな、これが。 やってみたら意外と面白かった。 というのも、局面局面では新鮮な体験もあったのである。 主人公が三人いて、体制に挑む者、それを阻む者、守る者を持つ事によって自己を成立させようとする者、の三者を絡ませてくるあたりは面白かったな。 操作画面が如何にもアンドロイド風な一人称視点になっているところなんかは、目新しくもあり、同一性も高かった。 しかし、テーマ自体はやはり在り来たりだった。 それでも面白く感じられるには、やはり理由がある。 局面局面では今まで見た事のないシーンが生まれてくる理由が。 このゲーム、突っ込みどころが満載。 いちいち突っ込んでいたらキリがない。 なぜかと考えてみると、そもそも設定がおかしいのである。 アンドロイド技術が進みすぎているのだ。 人間かアンドロイドか一見して判断できないぐらいのアンドロイドが、1000ドル以下で売られている世界がそもそもおかしい。 そんなにアンドロイド技術が進んでいるにもかかわらず、社会が何も対応していないのもおかしい。 そこへ至るまでに普通、社会が何らかの対応をするでしょ。 既に我々は人型のロボットが人間にどんな感情を喚起するのか、大体想像がついているわけだから。 おかしいと言い出したら、事件を起こした段階でリコールさせない監督官庁もおかしいし、AIをアップデートしないメーカーもおかしい。 もうありとあらゆる事がおかしい。 そういうおかしな世界を創り上げているから、面白いお話を創る事が出来たのだ。 それは別に悪くはないんだろう。 私も面白いとは思ったよ。 ただなんか釈然とはしないよね、どうしても。 人間はそれほど愚かではないと私は思ってるんだ。 それに割と浅いところで話が終わっているのも気になる。 この先には、死なない人間は人間と言えるのか?といった命題が待ち構えているはずなのである。 既に他の作品で描かれてきたものが、ね。 なんだか面白いと素直に言いたくない作品だったな、『Detroit: Become Human』は。 狡いって感想の方が強い。 |