逆転検事_2

スピンオフの意義 2009_06_12

 

近頃「スピンオフ」という言葉をよく耳にする。
ビジネスの世界でも使うけど、人気テレビドラマの脇役を主人公に映画を創ったりする場合に「スピンオフ作品」なんて言われ方をすることが多い。
金儲けの匂いがして、ちょっと鼻につく言葉になってきた感もある。
「踊る大捜査線」のスピンオフムービーなんてのが人気だとか聞くと、人間の愚かさを垣間見てしまったような嫌な気持ちになるな。
私が「踊る大捜査線」に全く興味がないからだろうけど。

『逆転検事』を発注するときも少し迷った。
こんなん買ってええんかなって。
いかにもカプコンに貢いでますって感じでしょ?
やや品薄気味だったことに背中を押されて買ってしまったが、いつでも買えそうだったら買わなかったかもしれない。

今になってみると、慌てて買うこともなかったと思っている。
なんせなかなか終わらなかったからな。
寝る前に少しずつやっていたのだが、眠れなくなってしまうほどの魅力はなかったのである。
しかし、全くこのゲームに意義がないかというと、そうでもない。
このゲームはある意味においては非常に貴重だ。
なんと言ってもお金を掛けてしっかり創られている。
近頃はこういうアドベンチャーゲームがホントに少なくなった。

最近アドベンチャーゲームをやっていて気付くのは、その作りの安さである。
ジャンル的に3万本も売れればいい方、1万本ぐらいでも普通になりつつあるので、それなりの開発費で創られるものが多くなった。
3Dを使うものが多くなったのもそのせいだろう。
いまどきは一枚絵でやるほうが割高だ。
また、システムに凝ったものが出てきているのも、手間暇掛けてプレイヤーの相手を創り手側で引き受けるわけにはいかないからなんじゃないか。
出来るだけシステムで時間を稼ごうという魂胆である。

そういった中で、『逆転検事』はお金かけてる感じはする。
ワンシーンワンシーン、人手を掛けてしっかり演出しているな。
「待った!」のタイミングだって一つ一つ積み重ねていったら物凄い手間になるよ。
あれをプレイヤーのボタン押しにゆだねてしまったら面白くも何ともないわけである。
それを可能にするのはやはり「逆転裁判」のブランド力。
売れると分かっているから、作り込める。
そういう意味では、スピンオフ作品にだって一定の意義はあると言うべきじゃないか。

初週で20万本売れているのを見ると、やっぱり買うんじゃなかったと思わないでもないけど。


戻る