ソニックラッシュ アドベンチャー

ソニックが「アドベンチャー」であるということ 2007_11_13

 

『ソニックラッシュ アドベンチャー』って、『ソニック アドベンチャー』と名前が似ている。
そりゃそうだ。
ラッシュが入っているかどうかだけの違いなんだから。
もっとも名前が似ているだけじゃない。
どうも両者には同じ問題が隠されているような気がしてならないのだ。
名前に「アドベンチャー」が付くということには、それなりに意味がありそうである。

かつてDCで『ソニック アドベンチャー』が発売されたのを、私はラインナップの都合だろうと考えていた。
ストーリーを追っていくようなものが次世代ゲーム機のローンチには必要だと考えられたのだろう、と思ったのである。
セガはRPGを創るのが苦手なので、ソニックを使わざるを得なかったんじゃないか、と。
「アドベンチャー」になったって間延びするだけだ、と私は感じていたが、そもそもソニックが特別好きというわけでもなかったので、あまり気にしていなかった。

しかし、である。
私は最近、ソニックを凄く見直していて、あれは2Dであれ3Dであれビューンと走ると面白いと思うようになった。
逆に言うと、ビューンと走らなかったら面白くない。
止まってはいけないのである。
止まらないためにはコースを覚える必要があるし、さらに上を目指そうと思えば最短コースを探す必要が出てくる。
基本的にやりこみ型のゲームなんだな。
ゴールにたどり着くためだけに探り探りやってても、あんまり面白くはないような気がしている。

ところが、「アドベンチャー」って付くと、当然ながらストーリーを追っていくタイプのゲームとしてプレイヤーに提示されるわけである。
一応、エンディングを観るところまでやればプレイヤーが満足できるようにゲームは創られるだろう。
そうすると、コースの長さにせよ、ゲームのテンポにせよ、大抵間延びするわな。

じゃ、なんで「アドベンチャー」にするのかというと、何回も繰り返しプレイすることが期待できなくなってきているからだ、とも言えるわけである。
そこには矛盾があるな。
繰り返しやることでしか喜びを得ることが出来ないのに、繰り返しプレイする動機付けを与えないで、一通りやって満足して貰えるように創る羽目になっているのである。
そのことは要するにソニックというゲームがそもそも時代に求められていないということのようにも思えるし、何作も発売するようなゲームではない、ということのようにも思える。

先頃発売された『ソニックラッシュ アドベンチャー』は決して悪くない。
しかし、各ステージをプレイすることがストーリーを進めるための材料集めになってしまっている感があり、各ステージをプレイすることの位置づけは以前より落ちているように感じられる。
つまりそれが「アドベンチャー」であるということであり、それは同様にソニックであることと矛盾しているのである。
だって、各ステージは消化されるために存在しているかのようなんだから。

消化するだけに留まるのか、やり込んでいくのかはプレイヤー次第だとも言えるけどね。



戻る