私は競馬をよく知らない。 一時期、競馬が流行った頃に一回だけ馬券を買ったことがある程度である。 あんまり知らないことを書くのも何なのだが、競馬が思うようにならない競技であることは容易に想像できる。 なんせ走るのはお馬さんだからね。 人間みたいに勝つことに意義を見出しているとは限らない。(競走馬は勝ちたいと思っていると競馬好きの人は主張するけど) オマケに相手のあることだし、馬群に沈むこともある。 運と実力を兼ね備えていないと、後世に名を残すようなお馬さんにはならないのだろう。 そこいら辺を如何にゲームにするかを考えていくと、競馬とソリティアの接点が見えてくるのかもしれない。 いや、ホントに面白かった、というか、まだ終わっていない、『ソリティ馬』。 生涯全勝馬をつくったら止めようと思っているのだが、なかなか出来ないな。 3歳全勝まではなんとかなったのだが。 一番難しいのは3歳の宝塚記念のような気がするのだが、勝てたときに限ってどっかでミスっちゃう。 このままだといつまで経っても書けないので、とりあえず書くべきことを先に書き残しておきたい。 このゲーム、導入が上手い上に、割と簡単に勝てるように創られているところが良かった。 いきなり最初っからG1の二つ三つは勝てちゃうバランス取りなのである。 上手くいくって嬉しいからね。 上手くいくからどんどんプレイしたくなるし、どんどんプレイしていても飽きない。 やり始めると1時間でも2時間でもぶっ通しでやりたくなってしまった。 案外ソリティアを組み込んだことが上手く機能している。 単純だけど何となく遊んでしまうゲームであることは元々よく知られているからね。 しかし、よくよく考えてみると、ただ組み合わせただけじゃない。 実はここにも置き換えがあるのだと気付いた。 通常置き換えはゲームの要請であるところの、「得をする」ことを目的として使われるわけだけれども、この場合は競馬の性質を表現する方法として使われているんだな。 思うようにならないっていう競馬の特性を。 ソリティアってどうやってもクリアできないときがあるからね。 関連性に着目すれば、競馬をどう考えてもソリティアでは置き換えられないんだけれども、競馬の有する性質を置き換えることはできるんだ。 なまじっか変なゲームを創作するぐらいだったら、同様の性質を持つ既存のゲームで置き換えてしまえばいい、という判断だろう。 上手くなったり、仕組みが分かってしまえば必ずクリアできるゲームを組み込んでしまってはダメなわけだから。 アイテムなどを使って程々にはコントロールできるところも都合が良かったんじゃないか。 もちろん創り手がどの程度明確な意図を持っていたのかは、私に分かるはずもないんだが。 早速『ソリティ馬』似のゲームが配信される(た?)そうだけど、どうなんだろうね。 組み合わせるのがパズドラ風のパズルなんかだとプレイヤーの腕に依存してしまって、競馬を置き換えたことにはならないと私は推測するのだが。 表面だけ真似ても、おそらく全然別物になってしまうんじゃないかな。 <後日談 2013_11_06> やっと全勝馬が出来た。 100時間ぐらい掛かったな。 終わってしまうと寂しいもんだ。 バブルソート スピード 134 スタミナ 125 ピークタイム4 右回りで気合い とれるガイド(弱) ごきげん長持ち 19戦19勝。 |