私は『エターナル アルカディア』に何とはなしの違和感を覚えている。 それはいったい何なのか。 私は何回も同じ夢に悩まされたことがある。 それはこんな夢だ。 なぜか私は異常にサドルの高い自転車に乗っている。 下を歩く人が豆粒のように見えるほど、それは高い。 自転車をこぎ続ければその場をしのぐことは出来る。 しかし、止まることは出来ないのだ、倒れてしまうから。 とはいえ、いつまでもこぎ続けることが出来るわけもなく、いつか私は倒れてしまうのだ。 わーっ!!と思って目が覚める。 この夢は何かしらを暗示しているのかもしれないが、ここでは触れまい。 そんなわけで、どちらかといえば私は空が苦手なのだ。 極端に高所恐怖症というわけではないが、出来ることならば危険は避けたい。 こんな私が、空に対して本質的な部分でロマンを感じることなど出来ようはずもないのである。 だから私は空を思うとき、他人(ひと)の力を借りるしかない。 子供の頃読んだ松本零士の漫画から、空をイメージするのだ。 ところが、『エターナル アルカディア』をプレイして数時間、何となく違和感を覚えていたのである。 空なのに、「空」じゃない。 これはむしろ「海」だ。 空には死と向かい合う孤高の美しさがある。 落ちたら死んでしまうのだ。 海だってもちろん危険であることには変わりないが、浮いていられる安心感がある。 『エターナル アルカディア』の世界には空に不思議な浮力があるようで(空ではなく、物の方にあるのかも)、どうも海っぽいのだ。 それに登場人物が非常に集団的である。 もちろんそれが悪いということではない。 ただ私が思う、松本零士氏から借りたイメージとは、どうも一致しないのだ。 タイトルに「アルカディア」という言葉が入っているせいか、どうも釈然としない。 宇宙を海に喩えるのには納得できるのだけど。 <余談> 私は子供の頃(10才未満だったと思うが)、母親の仕事仲間から漫画本を段ボール一箱分貸してもらった。 その中には手塚治虫の苦しい時代の作品(会社が倒産した頃)や松本零士の『セクサロイド』『ガンフロンティア』など、子供に読ませるような作品とは思えないものがたくさん入っていた。 長じて思うに、私はあの漫画本たちから大きな影響を受けているようだ。 <タイトルに関しての推測> 私ははじめ、このタイトルは「我が青春のアルカディア」のイメージをパクろうという狙いかと思っていた。 しかし、よくよく考えてみると、ファイナの故郷が「エターナル アルカディア」=「永遠の理想郷」だという線の方が正しいかもしれない。 このゲームをやり始めると、どうも眠くなってしまって、全然進んでいないのだが。 |