我々はゲームの記事を書く。 なぜ書くのか? ゲームの楽しさを知って欲しい!なんてお為ごかしを私は認めない。 少なくとも私は自分の満足のために書く。 では、なぜゲームの話を書いて満足できるのかというと、それはゲームから得られる喜びに自分が寄与しているからだ。 ゲームが素晴らしいのは、プレイしている自分が素晴らしいからである。 逆に言うと、喜びに対して自分の寄与がなければ、わざわざ書きたいとは思わないだろう。 面白くないのは自分のせいじゃない、と言い訳を書くことはあるにしても。 私は『タイムトラベラーズ』を全く面白いと思わない。 しかし、冷静に考えてみると、そんなに悪くないんじゃないか、という気もする。 これがダメなら、タイムトラベル物なんて全部ダメなんじゃないの? 発売されたばかりのアドベンチャーゲームだから書かないけど、意欲的な部分もあるよ。 しかしそれでも、このゲームを積極的に褒めたいと、少なくとも『428』のように褒めたいと思う人はいないだろう、と私は推測する。 寄与分の観点から私はそう思うのである。 まず、実写のスチール画に対してCGムービーは解釈の幅がまるでない。 ディテールが落ちている上に、CG描いている人は、困惑しているなら困惑していることが分かるようにハッキリとした表情作っちゃうからね。 そこに声優さんの演技が加わると、こっちの取り分は全くない。 もうガチガチ。 実写の方がむしろ受け取り方に幅があるよ。 笑顔が何となく暖かい、とかって思うところに見る側の寄与があるのである。 また、テキストも短い。 Tipsをチェックするためにバックログを全部スクロールさせたけど、あからさまに短いね。 フルプライスのゲームでこんなに短いの、ちょっと珍しいぐらいだ。 たぶん、ムービーと音声で状況を伝えてしまうから、描写がいらないんだろう。 それだけプレイヤーがイメージする部分は小さい。 これもプレイヤーの寄与が奪われていることになる。 ストーリーも今までとちょっと違って、始点と終点が一つずつみたいな印象なんだよ、主人公は5人いても。 『街』とか『428』は始点の異なる線がそれぞれの思惑で絡み合っているような印象を受けるんだけど、こっちは線が絡み合っているにしても、一本の線がぐるぐる回っているだけ、みたいな。 どんなストーリーにせよ、結局は作者の掌なんだけれども、この掌感はハンパじゃないな。 これでは自分で物語を紡いでいるという感触は得られないだろう。 総じて見ると、プレイヤーの寄与分が著しく低い印象を受ける作品だと言えるのでないか、この『タイムトラベラーズ』は。 だからQTEみたいなのを入れてゲームを稼いでいたんだ、と考えれば辻褄は合う。 まあ、あんまり褒める人はいないだろうと私は思うな。 ただし、面白いと思っていてもそれを書かない人が多いのであれば、ネット上でそれほど評価されていなくても、全く問題はないのかもしれないけどね。 喜びに対して寄与を欲しがる人ばっかりでもないんだから。 |