『シルバー事件』がどんなお話だったのか、ぼんやりとしか思い出せない。 テキストは面白いが、やたらと移動に時間がかかって、価格に見合ったプレイタイムを消費させつつ、プレイヤーに勝手に考えさせる作品だったような記憶はあった。 あれをプレイしたのはいつの事だったか。 過去のゲーム話を調べてみたら、16年も前の事だったようである。 そりゃ細かい事まで覚えて無くても仕方ないだろ。 続編が含まれたリメイク『シルバー2425』が発売された事に気付いていなくても、それもまた致し方あるまい。 しかし気付いてしまったら、やらないわけにもいかないのである。 とてもじゃないけど前作をもう一回やる気にはなれないので、『シルバー25』だけ。 プレイしてみたら、相変わらずだった。 狭義の意味で言えば、主なゲームは語呂合わせのパスワード推理と面倒な部屋探しだけ。 ゲームが面白くなるように味付けをしよう、といった気持ちは全くないらしい。 敢えて面倒な操作方法で目をくらまし、ひたすらくだらない負荷をかけて時間を稼ぐという有様。 おそらく開発費を極限まで削ったのだろう。 発売元が日本一だから、さもありなんという感じ。 お話に関しても、個々の出来事を考察してもあまり意味はなさそうである。 テキストは面白かったけど。 整合性のある結論には至らない。 とにかくプレイヤーを煙に巻く事に全力を注いだとしか思えないよ。 エンディングが100個もあって、そのほとんどが数行のテキストで済まされているあたり、おそらく創り手の方でもこれといった結論は持っていないのではないか。 結局のところ、全体を通して創り手が何を言いたいのか、を考えるより他になさそうだ。 果たして何を言いたいのか? カムイってのはアイヌの自然観からくる、人や物に宿る人知を越えた力みたいなヤツらしい。 とれすば・・・。 どれほど人間を縛ろうとしても、人間に内在する反発力みたいなものは抑える事が出来ない。 たとえひとりを殺しても、カムイが乗り移ったかのように、また別の誰かが反発を続けるものだっていうことなのかな。 それがパンクだと。 それを極端な形で表現するとこうなりますよ、というお話。 私はこう書いていてもあんまりピンとこないけどね。 だって、「日常を殺せ」とか言われても全く同意できないほど私は老いてしまった。 前作をプレイしてから16年。 その間に両親は死に、次は自分が死ぬ番だと思い定めて生きているわけです。 自分という観測者がいないこの世界がずっと続いていくってどういうことなんだ?なんて疑問に寝る前に急に囚われて眠れなくなる事もある。 そして私は思うのだ。 この日常が愛おしくて仕方がない、と。 ただ生きているだけで嬉しい、楽しい、素晴らしい。 「日常を殺せ」なんてトンデモない! もうちょっと私が若いときにプレイしていれば、また感じ方も違っただろうけどね。 続編を出すのが遅すぎるよ。 もっとも、創り手の上にだって私と同じだけの時間が流れたはずなのに、いまだにこんな作品を創る事が出来たのはある意味凄いのかもしれない。 歳を取っても変わらなかったのか。 変わってこれなのか。 変わっているのに、変わっていないフリをしているのか。 それは分からないけれども。 <後日談 2018_06_14> のちに調べたところ、「シルバー25」に相当する部分は、元々フィーチャーフォン向けにリリースされた作品のリメイクらしい。 調べてもリリース時期が分からなかったのだが、少なくとも数年は前の事だろう。 でもその時にプレイしても、やっぱりダメだったと思うね。 |