『ギターヒーロー3』をやっていて、一つ気付いたことがある。 ムービーの中の登場人物達が喋らない。 このゲームには中間デモムービーみたいなのがステージを進むごとに用意されているのだが、全てボディーランゲージで進められていく。 無声である。 でも、ストーリーは大体分かるんだ。 学園祭?で演奏しているところを音楽プロデューサーにスカウトされて、メジャーデビューしたらしい、とか、プロデューサーと喧嘩したらしい、とかね。 喋らないだけじゃなく、説明も全くないんだけど。 これは結構凄い。 今どきの日本だとこういう事はやれないだろうな、と思ってちょっと感心していた。 どうしても日本のムービーは説明調になってしまうからな。 誰も彼もが説明するからこそ、俺は意地でも言葉は使わないぞ!っていう人がいても良いんじゃないかと思うのだが。 そんなことを考えているときに、たまたまPSPの『LocoRoco』をプレイして驚いた。 こいつ喋らないな。 基本的に説明もしない。 最初スタートしたときに、これは凄いじゃないか!!という感動があったな。 残念ながら、主人公以外のキャラがちょっとだけ説明をしてくれるので、全く言葉が無いわけではないのだが。 『LocoRoco』が発売された当時、PSPが非常に劣勢で、DSの直感的というキーワードが持て囃されていたという事情があったのかもしれないな、こういう作品が創られた裏には。 あの当時はPSPってホントに駄目マシンのイメージがあった。 それを覆すために、LRボタンを押すだけでプレイできて、説明も要らない直感的なゲームを創ろうという意図があったんじゃないか。 プレイしてみたら凄く良い感じがあった。 Rを押すと右に地面が傾く、Lを押すと地面が左に傾くっていうのは、必ずしも直感的とは言えないと思うけどね、私の定義だと。 でも、何があろうと言葉では説明はしないっていう意地は張ってみる価値があるんじゃないか。 言葉で説明しなきゃ出来ないことは自ずと排除することになって、結果的に直感的になるんじゃないか。 『LocoRoco』のなんという名前か分からない主人公がぽにょぽにょしている姿を見てると、そんな気はしてきた。 <余談 2008_08_29> そういえば、『LocoRoco』の主人公は星自体か。 動いているのは星の方だからな。 でも、星って回転する事しかできないだろ。 どうやって地面傾けてるんだ??? |