ロゼと黄昏の古城

時代のせいにしたい 2016_11_26

 

いまの世の中、時短時短。
とにかく密度が大事。
隙間の時間が勿体ないから別の何かで埋めろ!、経験値稼ぎはタルいから早回ししろ!というのが、いまのご時世である。
私は大歓迎。
しかし、ホントはじっくり取り組むべきものもある。
余計な時間が何かしら思いを深めることもあるだろう。
それはわかっている。

ところで、PSVitaで遊びたいゲームがなかなか見つからなかった。
検索をかけたり、アマゾンランキングを深掘りしたり、10時間ほど調査した挙げ句、ついに『ロゼと黄昏の古城』を見つけたときには、もう精根尽き果てていた。
『LIMBO』に赤を一色足したような『ロゼと黄昏の古城』のゲーム画面を見て、もうこれでいいやと思ったのである。
この時点では中身を知らなかった。

やってみたら、キャラクター二人を切り替えてステージをクリアしていく、よくあるアクションアドベンチャーゲームだった。
血の赤を一色だけ足しているところがミソで、色のあるものしか時間が経過しない、というルールを上手くゲームに組み込んでいる。
よく出来ているし、なかなか雰囲気のいいゲームだった。

しかし、実はやってて酷くストレスのたまるゲームでもあった。
というのも、動きが遅い割にステージが広いんだ。
凄く無駄な感じ。
解法を思いついても、やり直しになるのがイヤで、攻略ページを見たくなることが何回かあった。
ラスボスなんかは、そんなに難しくないんだけど、敵の攻撃前動作とかにイライラしちゃって、なかなかクリア出来なかった。
一回失敗すると、もう一回やる気になれなくて。
クリアしてもあんまりいい印象を持てなかったな、私は。

ホントはこの一見無駄な時間にも、それなりの意味があるはずなんだ。
このゲームには語られていない謎が一杯ある。
茨の呪いってなんなの?とか、巨人はいったい何者なんだ?、とかね。
プレイヤーに間を強要することによって、そこでイマジネーションが拡がっていくことを創り手は期待したのかもしれない。
そういう遊び方が出来た人の方が幸せ。

私はいまいち出来なかったけど。
巨人の振る舞いに人間らしさを感じる部分があって、あの巨人には王様の魂でも宿ってるのかな?と想像した程度だった。


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