たとえば、私はこんな事を考える。 自分の子供でもいい、彼女でもいい、親でもいい。 自分の一番大切な人を人質に取られたとしよう。 人質の首元にはナイフが突きつけられている。 人殺しを何とも思わないような凶悪犯と自分は一人で向き合っている設定である。 一方、自分は拳銃を持っている。 しかも射撃には自信があるとしよう。 ただし、拳銃は中国で模造されたトカレフだ。 10mも離れると、30センチの的にあたるかどうかも疑わしい代物である。 ヘタに撃つと人質にあたってしまうかもしれない。 凶悪犯は人質にナイフを突きつけ、拳銃を捨てろ!と要求してくる。 このままでは人質がホントに殺されかねない勢いである。 しかし、拳銃を捨ててしまったら、人質どころか自分も殺されてしまうだろう。 さてどうするか? 私はやはり自分が一番大事だと思うので、少なくとも拳銃を捨てる選択はないな。 人質が殺されそうだと判断したら、出来るだけ近寄って撃つしかないと思う。 結果として人質にあたっても仕方ないだろう。 実際にそうなったら、できるかどうか定かではないが。 なんでこんな話から書き始めたかというと、私が『HEAVY RAIN -心が軋むとき-』の物語が好きになれないのを釈明しようとしているからである。 PS3にとっては極めてエポックメイキングな作品ではあるけど、好き嫌いはまた別だからな。 例によって、あんまり説明はせずいきなり書くので、やってない人は全然分からないと思うが、その方が却っていいだろう。 まず、登場人物が全員おしなべて最善を尽くしていないのがイヤ。 一人で危険なところ行くなよ。 せめて、誰かに連絡ぐらいしておけ、と思う。 犯人も犯人で、そんな大がかりな仕掛け、何人もの父親に仕掛けてたらすぐにバレるだろ。 他の父親はいままで何してたんだ。 解明できない警察も警察だよな。 何よりも困ったのが、父親の子供への愛を試されるところ。 メインとなる主人公は、長男を自分の不注意で事故死させてしまった男で、次男までも連続誘拐殺人犯に連れ去られてしまう。 長男で一回失敗してるから、残された次男まで失うわけにはいかない、という状況に追い込まれるんだな。 息子を救うために自分の指を切り落としたりとか、関係のない人を○○したりとか、××を飲むはめになる。 正直なところ、「俺そんなん無理だわ」と思った。 そんなのイヤ。 私は自分が大切だ。 こんなのやるとますます子供欲しくなくなるよね。 少子化推進ゲームかよ、っていう話ですよ。 まあ、そう感じさせるだけのものを、この『HEAVY RAIN -心が軋むとき-』が持っているとも言えるし、それこそが創り手の狙いなのかもしれないが。 |