不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!

存在意義 2002_03_12

 

「存在意義」というやつがある。
「リーゾンデートル」なんて言い方をすることもあるだろう。
自分の存在意義は何だ?なんて考え始めると、大抵は「俺にはなんの存在意義もないじゃないか!」など当たり前のことに気が付いて、ふて寝する羽目になったりするのである。
もっとも、そもそも存在意義を持っている人間など一人もいないのだと思い直したりして、どうにかこうにか人は生きていくのだ。

では、ゲームの場合はどうか?
『不思議のダンジョン 風来のシレン外伝 女剣士アスカ見参!』の存在意義って何だ?なんて私は考えていたのである。(タイトルが長いので、以下『風来のシレン外伝』と略します)

というのも、これはおかしい!と私は思ったのである、プレイし始めて。
なぜならば初心者向けの対応がバッサリと切り落とされていたからだ。
そりゃもう「愛と哀しみのバッサリ感」というぐらいに。(パクリ)
つまり、セガに操を立てて今までシレンジャーになれなかった人たちを対象としているのではなく、既シレンジャーを対象としていることは明らかだった。

で、私は思った。
だったら、こんなものいらないじゃない!って。
だって64版『風来のシレン2』とほとんど変わらないんだから。
おまけに、セーブに時間はかかるし、DCのコントローラーはお世辞にも使いやすいとは言えない。
こんなものに存在意義などあろうものか!?

そんなことを思いながらもプレイを続けてきたのは、もちろん『風来のシレン外伝』が大変面白かったからである。
今どきこんなにキツくて、こんなに面白いゲームは他にない。
私は何度も「ははは・・・」と力無く笑いながら、一からやり直し続けた。
全ての装備を失いながらも。

ところが、プレイを進めていくうち、見方がぐっと変わってきたである。
この『風来のシレン外伝』には存在意義があったのだ。

そのことを説明するためには、「不思議のダンジョン 風来のシレン」というものを先に説明しなければならない。
「不思議のダンジョン 風来のシレン」というのは将棋だと思えばいい、と私は言いたい。
ただし、「飛車」とか「銀」という駒の種類が100も200もあって、将棋盤の大きさ・形が毎回変わる。
そうすると場合分けがものすごく複雑になるだろう、というのは想像していただけるのではないだろうか。
羽生名人もびっくりである。

一方で、人間というのはいつもいつも同じパターンで危機に対処しがちである。
ベストな手段を使わないで、自分がよく使う手でピンチを避けてしまう。
人間の脳みそは固い。
だからそこに「手段を限定する」という縛りを入れて、無理にでも別のパターンを使わせてみようよ、というのが『風来のシレン外伝』なんじゃないか。
難易度的には相当高めだけど、それなりに手当が用意されているところからも、狙ってこういう構成にしたんだなと感じている。(中ボス戦後は、失敗し続けていると仲間が増える)

結局このゲームの「存在意義」は、これにチャレンジしてみよう!と思わないことには生まれてこないのではないか。
それはまるで人生のようだ、などと言ったら、少々強引だろうか。
チャレンジしていきたいよね。


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