私は全くと言っていいほど本を読まない。 しかし、「全く〜ない」という表現は、「本を読む」と自称できる人と比べればそうであろう、という自己防衛的な意味合いを含んでいることも一方の事実である。 「本読んでる」ってその程度かよ、とか思われるのはイヤだからね。 そして、そういう発想があること自体、本を読むことが娯楽として高尚だ、と私が認識している証でもある。 それを私は、ムービーよりは漫画の方が、漫画よりは文章の方が、そこから得る喜びに対する読者の寄与が大きいからだ、といった具合に「寄与分」という考え方を導入することで説明してきた。 もっと簡単に言えば、プレイヤー側の創作の余地が大きい方が高尚だ、ということである。 ただし、我々は娯楽としてゲームをやってるんだから、高尚であることを以て、ゲームの正義を振りかざすことなど出来るはずもない。 ところで、私はPSV版の『真かまいたちの夜 11人目の訪問者』をこのところプレイしていた。 まあ、何というか素直に面白かったとは言い難いよね。 「かまいたちの夜」って名前がついてると、こっちも身構えちゃうから。 たぶん、どんなによく出来た話でも、すごく面白い!ってことにはならなかったんだと思う。 おふざけシナリオの中には面白いのもあったけど。 このゲームで一番印象に残っているのは、序盤音声が酷くうざかったことである。 厳密に言えばフルボイスではないんだけど、序盤はフルボイスに近くて、かなり聞かされる。 飛ばすことは出来ない。 これがすごくイヤで、プレイが軌道に乗るまでずいぶんと時間が掛かった。 プレイのテンポが悪く感じられたんだよね。 しかしながら実は、テンポが悪いのは音声のせいじゃなく、文字送り速度のせいであった。 文字送りが遅いからほぼフル音声になってしまうだけで、次の音声が始まれば前の音声はカットされるのである。 たぶん私の中に音声を悪者にしたい気分があっただろうな。 音声が付いてるってことは、それだけプレイヤーの寄与が奪われるわけで、自分の内側における創作を重視する立場からは好まれないはずである。 今回の『11人目の訪問者』に音声が付いたのは、おそらく昔ほど売れる見込みがなくなったからじゃないか。 一時期のように、枝葉のバッドエンドのためにムービーを制作するような余裕がなくなったために、別のところで訴求力を出そうとしたのではないか、と私は推測する。 わざわざアニメで人気の声優を起用したそうだから、そっち系へのアプローチを意識したんだろう。 でも、未だに「かまいたちの夜」を買ってくれるようなユーザー層はたぶん、そういうのを求めてないんじゃないかな。 贅沢に作れないって知りながら買ってるわけだから、寄与分が欲しいタイプが多いでしょ、きっと。 同じノベル系でも狙うユーザー層を間違えている気がしてならない。 私も最初、すごく拒絶反応があったもの。 妖怪編までいくと、声優さん使うのも悪くないな、と思ったけどね。 |