『逆転裁判3』を終えて何日か過ぎたというのに、いまだに思い出すシーンがある。 「××のは・・・、この俺だぜ!」 あれは笑ったな。 ゲームしててあんなに笑ったのは初めてなんじゃないか。 本当はこのショーゲキ的な宣言を書きたいところなんだけど、発売されたばかりなので我慢しておく。 伏せ字にしてあるのに、このまま話を進めるのもどうかとは思うんだけど、私は強引に進めたい。 「××のは・・・、この俺だぜ!」っていうセリフは象徴しているんだ、この『逆転裁判3』という作品を、あるいは「逆転裁判」シリーズを。 それは常識の枠を壊すということ。 常識の枠を壊せばこそ、より一層キャラが立つ。 だって、そんなことあり得ない。 あり得ないことをするから唯一無二のキャラクターが誕生する。 そして常識の枠を壊すことが、プレイヤーをゲームへと導入することにもなるんだ。 『3』のキーマンになるゴドー検事なんか、ホントに凄いな。 彼にはタブーがない。 彼のキャラを立たせるためにやっていけないことなんてないんだ。 法廷でコーヒーを飲むぐらいは当たり前。 だって、「××のは・・・、この俺だぜ!」なんだぜ。 きっとこのゲームの無茶苦茶さっていうのは、キャラを立たせるところから始まったんだろうと私は思う。 で、この無茶苦茶さが矛盾を突き詰めるゲームのおかしなところを消してしまうんだ。 明らかにおかしな展開だな、と思うことがあっても、そんなことはプレイする上でナンの妨げにもならない。 要するに彼らの思考をトレースしてやるゲームなんだと思ってプレイできる。 もし、まともなキャラクター達で矛盾を追及するゲームを創ったら、これは気になるよ、そのロジックの整合性が。 人間はケチをつけたがる生き物だからね。 それをねじ伏せる力があるんだ、「逆転裁判」には。 「××のは・・・、この俺だぜ!」というこのセリフはそれを見事に象徴しているんじゃないか。 腹を抱えて笑ったからこそ、私は確信めいたものを感じているのである。 |