『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』は、しつこいようだけど、素晴らしいとしか言いようがなかった。 エンディングを迎えたときは、『時のオカリナ』以来の感動だったな。 これは凄いよ。 ただ、何が凄かったのか、を冷静に考えてみると、やっぱりDSだからって部分が非常に大きかったことに気付いた。 このことを少し説明してみたいんだけど、そのことはまた別の結論をも生むはずである。 ゼルダがこのところ据え置き機で苦しんでいたのは、やっぱりマンネリ感だったと思う。 映像が綺麗になったって、結局やってることは同じだからね。 回を重ねれば重ねるほどアイディアは尽きていくし、古いギミックに新しいものをひたすら加えていくしかない。 『トワイライトプリンセス』のアイテムリング(?名前がわからない)を見たら、その数にビックリするでしょ? あれを見ると、如何にゼルダが行き詰まっていたかがよくわかる。 そこに今回のDSである。 『夢幻の砂時計』では一回全部リセットして見せたな。 タッチスクリーンを使うことで、同じギミックでも内容が変わる。 たとえば爆弾だったら、「爆弾」を「壁の前」へ、という具合に文章と同じ扱いになるんだ。 今まではAボタンを押して爆弾を取って、壁の前に移動してからもう一度Aボタンを押していた。 この違いはなんというのだろうか。 ゲーム世界のオブジェクト指向とでも言ったら、カッコイイかな。 操作する対象が変わってるんだよ。 凄く新鮮な体験だな、これは。 そして何より、2画面を上手く使って見せた。 私は2画面であることを特段のメリットだとはしてこなかったし、2画面を50:50で使って、ようやく画素が2倍の一画面と同じだと主張してきた。 ところが、やっぱり任天堂はスゲーよ。 マップを書き写すぐらいは、まあ、想定の範囲内だとしても、下画面を操作パネル・上画面を視認に使って見せたり、上画面を敵の背後視点に使って見せたり、私の想像を超えた使い方だったな。 ホントに驚いた。 このゲームを終えたときには、是非続編がやりたい。 今すぐやりたい、と思ったものである。 が、しかし。 今まで書いてきたことは、つまり今回の『夢幻の砂時計』が素晴らしかったのは、舞台がDSに移行したからだ、という話である。 要するに、目新しかった。 続編創ったら、結局今まで同じ事になるんじゃないか。 今回ちょっと簡単だったから難しくしようと思えば、『ムジュラ』の二の舞になる。 ハード叩いて映像面を強化しようとすれば、『トワイライトプリンセス』の二の舞になる。 やればやるほど脱落者を増やしていっただけじゃないか。 ゼルダにとって、ホントに良いことは、ぐっと堪えてもうDSでは続編を創らないこと。 また新しいインターフェイスを備えたゲームマシンが登場するそのときまで封印すること。 我々もそれに耐えること。 それが必要なんじゃないか。 |