ゼルダの伝説 夢幻の砂時計_3

ゼルダを封印しよう 2007_08_07

 

『ゼルダの伝説 夢幻の砂時計』は、しつこいようだけど、素晴らしいとしか言いようがなかった。
エンディングを迎えたときは、『時のオカリナ』以来の感動だったな。
これは凄いよ。
ただ、何が凄かったのか、を冷静に考えてみると、やっぱりDSだからって部分が非常に大きかったことに気付いた。
このことを少し説明してみたいんだけど、そのことはまた別の結論をも生むはずである。

ゼルダがこのところ据え置き機で苦しんでいたのは、やっぱりマンネリ感だったと思う。
映像が綺麗になったって、結局やってることは同じだからね。
回を重ねれば重ねるほどアイディアは尽きていくし、古いギミックに新しいものをひたすら加えていくしかない。
『トワイライトプリンセス』のアイテムリング(?名前がわからない)を見たら、その数にビックリするでしょ?
あれを見ると、如何にゼルダが行き詰まっていたかがよくわかる。

そこに今回のDSである。
『夢幻の砂時計』では一回全部リセットして見せたな。
タッチスクリーンを使うことで、同じギミックでも内容が変わる。
たとえば爆弾だったら、「爆弾」を「壁の前」へ、という具合に文章と同じ扱いになるんだ。
今まではAボタンを押して爆弾を取って、壁の前に移動してからもう一度Aボタンを押していた。
この違いはなんというのだろうか。
ゲーム世界のオブジェクト指向とでも言ったら、カッコイイかな。
操作する対象が変わってるんだよ。
凄く新鮮な体験だな、これは。

そして何より、2画面を上手く使って見せた。
私は2画面であることを特段のメリットだとはしてこなかったし、2画面を50:50で使って、ようやく画素が2倍の一画面と同じだと主張してきた。
ところが、やっぱり任天堂はスゲーよ。
マップを書き写すぐらいは、まあ、想定の範囲内だとしても、下画面を操作パネル・上画面を視認に使って見せたり、上画面を敵の背後視点に使って見せたり、私の想像を超えた使い方だったな。
ホントに驚いた。

このゲームを終えたときには、是非続編がやりたい。
今すぐやりたい、と思ったものである。

が、しかし。
今まで書いてきたことは、つまり今回の『夢幻の砂時計』が素晴らしかったのは、舞台がDSに移行したからだ、という話である。
要するに、目新しかった。
続編創ったら、結局今まで同じ事になるんじゃないか。
今回ちょっと簡単だったから難しくしようと思えば、『ムジュラ』の二の舞になる。
ハード叩いて映像面を強化しようとすれば、『トワイライトプリンセス』の二の舞になる。
やればやるほど脱落者を増やしていっただけじゃないか。

ゼルダにとって、ホントに良いことは、ぐっと堪えてもうDSでは続編を創らないこと。
また新しいインターフェイスを備えたゲームマシンが登場するそのときまで封印すること。
我々もそれに耐えること。
それが必要なんじゃないか。


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