ビューティフルジョー_2

強制スクロールに替わるもの 2003_08_13〜15

 

やり込みアクションゲームを創るのって、今となってはとても難しいことなんだ。
『ビューティフルジョー』をプレイしていて、私はそのことに気づかないわけにはいかなかった。
この間も書いたが。

アクションゲームを何回もやらせるように創ることが難しい理由の一つとして、強制スクロールがないからだ、という理由を私は挙げた。
それはシューティングゲームとアクションゲームの違いを考えていて思いついたものである。
シューティングゲームの世界では一周30分を何十回何百回とやらせること事を想定できるのに、なぜアクションゲームはそうできないのか?
昔みたいに「一周一時間かそこらで、セーブポイントの必要ないアクションゲーム」って創れないのか?と。

強制スクロールがゲームにもたらすもの。
それは敵なりアイテムなりが流れていってしまう、ということである。
当たり前のことだが。
そのことが何を意味しているのかというと、何かしらする機会が制限される、ということだ。
アイテムがあっても敵が邪魔で近寄れないうちに流れていってしまう、とか。
ある位置の敵を倒したいけど、自機の位置をはじめから寄せておかないと間に合わない、とか。
何かしらする機会が制限されるからこそ、そこにやり込み要素を入れることが出来るのである。

ところが、アクションゲームの世界には強制スクロールがない。
そのことは、キャラクターが自由に動き回れる、ということを意味している。
例えば、アイテムを取るのは敵を全部倒してからでもいいのだ。
つまり制限が外れていることになる。

この弊害の端的な例として、『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』を考えてみるといい。
本当はびゅーんとゴールまで突っ走って欲しいゲームのはずである。
極端な話、リングなんか取らなくたっていいわけだし、敵を倒す必要なんて無い。
何回もやって上手になれば、そのうちびゅーんと走りながらアイテムも取れるし、敵も倒せるよ、というゲームなんだろう。
しかし実際には、プレイヤーは止まってもいい。
キキッと止まってリングを取りに戻ってもいいし、敵の前で減速して慎重に倒してもいいのである。(で、止まってもいいから、ダッシュが導入される)
だから敵を倒すこと、リングを集めることは、独立したやり込み要素にはならない。
遊び手は創り手の意図通りにプレイしてくれるわけではないのだ。
この辺がアクションゲームの難しいところなんじゃないか。

そこで私は、強制スクロールに替わるものはないだろうか?ということを考えていた。
アクションゲームの中に縛りを入れる事は出来ないのかと。
その答えに近づくことの出来るヒントを『ビューティフルジョー』の中に見つけたので、それを書き残しておきたい。

『ビューティフルジョー』の中には、普通には取れないアイテムボックスが配置されている。
どうやって取るのかというと、マックスピード(早回し)時の分身を使って取るのだ。
敵をマックスピードで攻撃すると分身が奥の方にあるアイテムボックスを破壊してくれるのである。
おそらくこれは、「マックスピードも使ってね」ということなんだろう。
スローの方が使いやすいので、ついついスローばかり使ってしまうから。

ただこのことは非常に面白い副作用を伴っているとも言える。
敵が画面中にいるときしかアイテムを取ることが出来ない!
アイテムを収集することをやり込み要素と絡めておけば、これは非常に面白いことになる。
画面がスクロールしなくても、敵が画面から消えていけば、結局同じ事になるからだ。
一定の間に敵をマックスピードで攻撃しなければ、アイテムを取ることは出来ない。
おそらくこれはアクションゲームにとって素晴らしい示唆になる。
アクションゲームの中にも制限を織り込むことは可能なのだ。
もっとも『ビューティフルジョー』の中では、敵はどこまでも追いかけてくるし、アイテムボックスをやり込み要素としては扱っていないのだが。

「一周一時間かそこらで、セーブポイントの必要ないアクションゲーム」って、やろうと思えば創れるんじゃないか。
そんな気はしてきた。
もちろんそのためには、明確なやり込み軸が必要になる。
『ビューティフルジョー』のように、「美しく戦う」という抽象的なやり込み軸では、プレイヤーのモチベーションを上げていくのは難しいだろう。(だから、やり込みゲームを目指したデザインにしなかったとも考えられる)

まあ、それが望まれているのかというと、そうではないのかも知れないのだが。
やり込みシューティングゲームは売り上げにおいて、キャラクターを前面に押し出したアクションゲームに遠く及ばない現実がある。






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