ファイナルファンタジー\

作られたシーン 2000_01_20

 

絵になるシーンだった。
必殺技2回でイベントボスを撃破!その後、主人公HIV(ジタン)はトランスを解除しながらフェードアウトしていく。
だが私は、その余りにも出来すぎたシーンに不自然さを感じていた。
これは作られたシーンなんじゃないか。

『ファイナルファンタジー\』(以下、FF9)に着手した。
贅沢の粋を極めた様なこのゲームは、確かに凄い。
ゲーム開始してすぐに私は脱帽した。
また、序盤はテンポよく話が進んでいくので、すんなりとゲームの世界に溶け込むことが出来たし、こりゃ認めざる得ないと思った。
しかし、その反面、こんな事でいいのだろうか?とも思った。
というのも、私は何もしていなかったのである。
何もしていないんだけど、なんだか話はどんどん進んでいくのだ。

そんなときに訪れる、イベントボスとの戦い。
仲間はみんな眠ってしまい、主人公HIVは一人でイベントボスと戦うことになる。
1対1。
かと思いきや、イベントボスは見かけは強そうな仲間を呼びだした。
2対1だ。

ところで、FF9ではトランスという概念が導入された。
簡単に言うと、ダメージを受けるたびに貯まっていくゲージが満タンになると「スーパーサイヤ人」に変身する、といったものである。(「ドラゴンボール」はご存じですよね?)

バランス上当然とも言えるが、イベントボスの攻撃は弱かった。
だが、主人公一人に攻撃が集中するので、あっという間にトランスゲージが貯まっていく。
トランス状態になると使える必殺技は強力だ。
イベントボスは、それぞれ必殺技一発ずつで撃沈されていった、あっけなく。

不利な状況だっただけに私は、おおっ、と感動した。
なんだか自分で困難を脱したような気がした。
しかし、そうではなかったろう。
はじめから仕組まれていたに違いあるまい。
おそらく大半のプレイヤーが私と同じ経験をしたはずだ。

なぜ主人公を一人にするシチュエーションをつくる必要があったのか?
なぜイベントボスの攻撃力とヒットポイントを2倍にせず、2体に分けたのか?
それはトランスさせるためだったに違いない。
プレイヤーが自分で何事かを成したかのような錯覚を起こさせるために。

こう書くと一見FF9を否定的に見ているように感じるかもしれないが、そうではない。
私はむしろ大きくプラスに捉えている。
RPGっていうのは、立ち上げが難しいものである。
ゲームが自分の中で立ち上がってくるまでは、なかなか楽しいと思えないものだ。
そういった中で、最大公約数的なFFシリーズのあるべき姿として、誰にでもプレイでき、それでいて達成感も持ってもらおうという心遣いが感じられた。
こういう丁寧な作りには大賛成なのである。
一つ一つのシーンに拘ることの出来る大作ゲームならではの演出だ。


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