『サイヴァリア リビジョン』を私は終わろうとしている。 ここまで3ヶ月プレイしてきて、X-D面までは進めなかったものの、まずまず良くやってきたな、と満足しているのである。 この終わりというのは、私にとっての終わりであり、もちろん他のプレイヤーにとっての終わりではないはずだ。 しかし、じゃあ、これからも『サイヴァリア リビジョン』が新しいプレイヤー達に楽しまれ続けるかというと、そうではないだろう。 古くなるとゲームは価値を失っていくのである、これまでの例でいうと。 ところが。 私達は感じているはずである。 「シューティングゲームは既に飽和している!」と。 少なくとも2Dに関しては。 だって、新しいシューティングゲームを創ろうとすると、キャラゲーに走ったり、複雑怪奇なシステムを採用せざる得なくなっているじゃないか。 表示デバイス(モニタ)と入力装置(コントローラー)が変わらない限り、2Dシューティングは進化できなくなっているのだ。 一方で、逆にそれは、「2Dシューティングは古くならない」という事を示しているんじゃないか、と私は思うのである。 古くならないんだったら、これからも楽しまれ続けていいはず。 もっというと、2Dシューティングには限りがあるんだから、一本一本を大切にしていこうよ、ということである。 だって、勿体ないじゃない。 ただ、そのためには価値を統一しなければならない。 アーケードでプレイすること、コンシューマーでプレイすること。 コンシューマーであっても、機種間での差異があってはならない。 あたかも競技であるように厳格に規格を定める必要がある。 例えば、キャラクターの位置・動きを座標と時間の関数で表現するとか。 「PS2版って、微妙に違うんだよね」とか、マニアに言わせないようにね。 もし、全てのプレイヤーのプレイが等しく同じ価値を持つのであれば、良くできたシューティングゲームというのは時間を越えて、新しいプレイヤー達に楽しまれ続けるはずだと私は思うのである。 5年、10年、20年と時が流れたある日、私のスコアを抜きましたよ、という者が現れる。 「何を!よっしゃ、もう一回抜き返してやるぜ」とばかりに、もう一度『サイヴァリア リビジョン』をプレイする日が来たとしたら、大変素敵なことなんじゃないか。 もちろん、プレイに価値を求めること自体が間違っているわけだが、私達はそう突っぱね続けられるほどには強くないのである。 <追補> これはあくまで、「2Dシューティングが飽和している」という条件下の話です。 決して、今やっても『ゼビウス』は面白いぜ!という類の話ではありません。 |