『ポケットモンスター ダイヤモンド』もそろそろ終わりそうな気配が漂ってきた。 TV観ながらやってるから面白いけど、これ単体でずっとやってたらどうなんだろう。 凄くテンポの悪いゲームなので、きっとイライラしたんじゃないかという気がする。 いくら何でも表示遅すぎだよ。 人間が我慢できるぎりぎりのラインを狙ってきた感じだな。 なんでこんなものを全世界で何百万もの人たちがやってるのか、ちょっと不思議なぐらいだ。 しかし、逆になぜこのゲームがウケたのか、少し判った部分もあるのである。 今回、丁度発売日に「ポケットモンスター ダイヤモンド/パール」のアニメが放送されてて、総集編みたいなのを観た。 あれを観ていて、ああなるほどな、と思ったのである。 主人公とプレイヤーの同一性が非常に高いゲームなんだ、「ポケモン」ってのは。 ゲームの中で主人公がやってることと、自分が友達とポケモンバトルすることがまるで同じなのである。 このNDSの中にポケモンが入っているんだ!とさえ思うことが出来れば。 更にアニメが、ゲームと現実の距離を縮める働きをするんだろうな。 あれを見て育った子供たちには、より高い同一性が感じられるに違いない。 ポケモントレーナーとしての冒険をより強く自分のものに出来るのだ。 現実の世の中は子供に冒険なんかさせてくれないけど、ポケモンで遊ぶ子供たちは冒険の旅に出ることが出来るのである。 RPGという言葉の定義に立ち返るなら、恐らくこれほどRPGと呼ぶに相応しいゲームは他にない。 同一性の高さ、というのはゲームにおいて非常に大切で、『オペレーターズサイド』の時にも凄く感心した。 あれはシチュエーションを上手くいかして、同一性を高めたゲームである。 我々は今、NDSで入力装置によって置き換えの距離を近くし、同一性を高めることでゲームが面白くなることを経験しているし、恐らくその流れはWiiにまで続く。 しかし、マイクを使わなくたって、タッチスクリーンを使わなくたって、加速度センサを使わなくたって、同一性を高めることが出来るという事を「ポケモン」は証明して見せている。 同一性を高めることでゲームを面白くするアプローチは、これからもどんどん続いていくことだろうな。 |