最近よく思うのである、「いい話」とか「深い話」とか評されるストーリーを有り難がる必要があるのだろうか、と。 若いときなら話は別だよ。 若いときの苦労は買ってでもせよ、というぐらいだから、苦いストーリーをゲームで疑似体験することにも意味はあるだろう。 しかし、こちとらもう後死ぬだけなんだから。 残り少ない人生を楽しもうと思ってゲームを買ってるのに、イヤな思いをさせられるなんてまっぴらごめんだよ。 創り手が気持ちよくなるんじゃなくて、遊び手を気持ちよくさせてくれないと。 それが娯楽としてのゲームってもんでしょ。 ところで、『天穂のサクナヒメ』が終わった。 このゲームは良かった。 何が良かったって、終始イヤなことがなかったのが良かった。 最後まで大満足ですよ。 最初、マイナスからスタートする辺りも上手かったのかな。 主人公は神様のくせにぐうたら。 一緒に行動することになる人間達は天の声を無視して天界に入っちゃう。 挙げ句の果てに火事は起こすわ、武士のくせに無能だわ、ケンカはするわ、子供は殴るわ、つまみ食いはするわ、人間達も最悪。 でも、そこから徐々に良い人エピソードを積み重ねていくのだ。 マイナスからプラスへ向かっていくから悪い気は全然しなかった。 一瞬、爺がらみで鬱展開になるのかな、と思った時もあった。 それもすぐに軌道修正。 行方不明だった親の話も綺麗に回収。 全部丸く収まっちゃうのだ。 毒にも薬にもならないけど、私はこんな話がいいな。 普通ね、インディーズでゲーム創る人って、自分が創りたいものを創るでしょ。 そのためのインディーズなんだから。 でも、このゲームには全然そういうところがないんだよなあ。 ホントにプレイヤー本位だった。 大手メーカーにこそ見習って欲しい姿勢だよ、これは。 |