寂しさはあれど 2000_01_21

寂しさはあれど 2000_01_21



この夜、私はあるゲームをクリアした。
良いゲームをクリアした後は、やり遂げた達成感と終わってしまった寂しさが
同居したような気持ちになるものだ。
しかし、このゲームをクリアした後に寂しさを感じることはあっても、決して
達成感を覚えることはなかった。
むしろそれは不快感だった。
そのゲームの名は「続・御神楽少女探偵団〜完結編〜」。
もし、今後このゲームをプレイする気がある方は、以下の文章を読まないこと
をお勧めします。

さて、「クロス探偵物語」を終えた私の中では、異様なほどに探偵物への興味
が高まっていた。
それまで敬遠していたシャーロックホームズを読んだりしていたのも、やはり
その影響が大きかったように思う。
そんな折、ファミ通で比較的高い評価を受けていたのがこのゲームだった。
私はまず前作にあたる「御神楽少女探偵団」から始めることにした。
ファミ通の評にあった、前作をプレイしてからの方がいい、という言葉を信じ
たからだ。

正直言って、それほど面白いゲームだとは思わなかった。
悪い点は山のように見つかった。
一番悪いのは、やたらと犯人を子供にしたり、犯人を自殺させてしまったり、
演出過多なところだろう。
ではギャルゲーとして評価できるかといえば、そうではないように思う。
にもかかわらず、なぜか先に進めようという気にさせる不思議なゲームという
印象が強い。
今をもって、その理由を端的に挙げることはできない。
しかし、続編をプレイするまではないかな、とも思っていた。

ところが、前作「御神楽少女探偵団」のラストで、主人公が撃たれるシーンで
ゲームは終わってしまい、私は続きをやらざる得なくなってしまったのだった。
私は秋葉原・渋谷・下北沢と守備範囲をくまなく探したが、「続・御神楽少女
探偵団」を下北の中古ショップで見つけたのは一ヶ月後のことだった。
どうやら出荷量が少なかったらしい。
見つけた時は随分と嬉しかったものだ。

いま私がこうして、このゲームとのかかわりを書いているのは、自分でもなぜ
このゲームに拘るのかわからないからだ。

私はこれから「続・御神楽少女探偵団」の最終話について書こうとしている。
この話の中で、主人公の身近な人が殺人犯として描かれ、主人公はその人が自
殺するのを止められずにエンディングを迎える。
なんだそれは?!
なぜ彼女が犯罪を犯すのか?
主人公が犯罪と戦っているのを何年か(劇中では明示されていない)見守って
きた人が、如何に亡き夫の敵討ちとはいえ、人をそうそう殺してしまうものだ
ろうか?
いったいどこからそういう考えが浮かんでくるのか?
そういうシナリオを考えてしまう心のうちには、プレイヤーを弄ぼうという下
心があるのではないか?
それとも、ネタが出尽くして、こんなのしか書けなかったのか?

確かにハッピーエンドだけがすべてではない。
だが本当にこうすべきだったのか考えてほしい。
これは必然だったのか。
このシナリオを生み出した自分を考えてみてほしい。
そこに何があるのか。


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