バテン・カイトス2_2

playing a role 2006_03_17

 

RPGという言葉が「role-playing game」の略であることは、よく知られた話である。
もともとはテーブルゲームの一種だったそうで、ゲーム世界で複数のプレイヤーがそれぞれ役割を担うことから付いた名前なんだろう。
現在のRPGに至るまでの経緯を私は知らない。
私が知ったときにはすでに「ウルティマ」であり「ウィザードリー」だった。
とりあえず我々は、何かの目的を達成するために経験値稼ぎをするゲームをRPGだと認識しているようだ。

我々が言うところのRPGには、主人公が勝手に話すものと、黙ってるものがある。
ドラクエに代表されるように昔は喋らないものが多かったが、今は逆のようだ。
圧倒的に喋るものが多い。
ストーリーを完成させるのに、主人公が喋らないってのは都合が悪いんだろうな。
プレイヤーがどう思っていようが、喋ってもらわないことにはストーリーが盛り上がらない。
ヒロインが殺されたら、主人公は叫ばねばならないのだ。
結果として、RPGというのは遊び手が演ずるものではなくなってしまった。
これは近頃のRPGが間々批判される所である。

しかし、それじゃ不味いよな、と思う人がいたんだ。
『バテン・カイトス』を創った人は、物語を進めるために主人公に喋らせつつ、プレイヤーはただ観ているだけでなく、何か関与しているような気にさせようとしたのである。
だから、「精霊憑き」という主人公を創作したんだろう。

ただ、私は分からなかった。
自分が何者なのか?
自分が何をしているのか?
ラストで「お前のおかげだよ」って言われるんだけど、全然ピンと来ない。
なんだか釈然としなかった覚えがある。

そこで今回の『2』。
これは上手いこと解決していたな。
自分が何者か、きちんと物語の中に織り込んでくれた。
なるほど、と思えたよ。

自分がゲームの中で何をしているのか、ということも理解できたな。
『1』の時から選択肢自体はあったんだけど、『2』になって選択肢に意味を持たせてくれた。
主人公の気持ちとシンクロした選択肢を選ぶとカードの積み込みが良くなるのだ。(ホントかどうか確かめようがないんだけど)
考えたよ、主人公の気持ちを。
当然自分の中でのゲームへの寄与度は大きくなる。
そしたらゲームは面白くなるんだ。

終わってみて、ホント非常に良いゲームだったな、と感じていた。
我々が言うところのRPGが抱える問題に、一つの答えを出して見せたんじゃないか。
ただ、設定があまりにも特殊なので、典型として、あるいは雛形として今後使えるかというと、そうではないかもしれない。
だからこそ「バテン・カイトス」という名は、おそらくその売れ行きよりも、その名声よりも、プレイヤーの記憶に刻まれるんじゃないか。
「バテン・カイトス」というゲームがあったことを私は決して忘れないと思う。



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