RPGという言葉が「role-playing game」の略であることは、よく知られた話である。 もともとはテーブルゲームの一種だったそうで、ゲーム世界で複数のプレイヤーがそれぞれ役割を担うことから付いた名前なんだろう。 現在のRPGに至るまでの経緯を私は知らない。 私が知ったときにはすでに「ウルティマ」であり「ウィザードリー」だった。 とりあえず我々は、何かの目的を達成するために経験値稼ぎをするゲームをRPGだと認識しているようだ。 我々が言うところのRPGには、主人公が勝手に話すものと、黙ってるものがある。 ドラクエに代表されるように昔は喋らないものが多かったが、今は逆のようだ。 圧倒的に喋るものが多い。 ストーリーを完成させるのに、主人公が喋らないってのは都合が悪いんだろうな。 プレイヤーがどう思っていようが、喋ってもらわないことにはストーリーが盛り上がらない。 ヒロインが殺されたら、主人公は叫ばねばならないのだ。 結果として、RPGというのは遊び手が演ずるものではなくなってしまった。 これは近頃のRPGが間々批判される所である。 しかし、それじゃ不味いよな、と思う人がいたんだ。 『バテン・カイトス』を創った人は、物語を進めるために主人公に喋らせつつ、プレイヤーはただ観ているだけでなく、何か関与しているような気にさせようとしたのである。 だから、「精霊憑き」という主人公を創作したんだろう。 ただ、私は分からなかった。 自分が何者なのか? 自分が何をしているのか? ラストで「お前のおかげだよ」って言われるんだけど、全然ピンと来ない。 なんだか釈然としなかった覚えがある。 そこで今回の『2』。 これは上手いこと解決していたな。 自分が何者か、きちんと物語の中に織り込んでくれた。 なるほど、と思えたよ。 自分がゲームの中で何をしているのか、ということも理解できたな。 『1』の時から選択肢自体はあったんだけど、『2』になって選択肢に意味を持たせてくれた。 主人公の気持ちとシンクロした選択肢を選ぶとカードの積み込みが良くなるのだ。(ホントかどうか確かめようがないんだけど) 考えたよ、主人公の気持ちを。 当然自分の中でのゲームへの寄与度は大きくなる。 そしたらゲームは面白くなるんだ。 終わってみて、ホント非常に良いゲームだったな、と感じていた。 我々が言うところのRPGが抱える問題に、一つの答えを出して見せたんじゃないか。 ただ、設定があまりにも特殊なので、典型として、あるいは雛形として今後使えるかというと、そうではないかもしれない。 だからこそ「バテン・カイトス」という名は、おそらくその売れ行きよりも、その名声よりも、プレイヤーの記憶に刻まれるんじゃないか。 「バテン・カイトス」というゲームがあったことを私は決して忘れないと思う。 |