みんなのリズム天国_2

リズム感はホントに伸びるのか 2011_07_30

 

ホントはあんまり書かない方がいいのだろうが、ゲームは人を測る物差しである。
勉強もスポーツもテレビゲームもおんなじ。
にもかかわらず我々が娯楽としてゲームを楽しむことが出来るのは、それが極めて特異な物差しであって、人間の本質的な価値に影響を与えないからだ。
ところが、リズム感はそういうワケにはいかない。
だって、音楽の授業で恥ずかしい思いをするのはイヤだし、カラオケで笑われたくないし、フォークダンスで躓きたくないでしょ。
つまりそれは、とりもなおさずリズム感に社会的価値があるって事だ。
リズムゲームを提供するってのは本来ひどく難しいことなのではないか。

今回、『みんなのリズム天国』をクリアするのに凄く苦労した。
パーフェクトどころの話じゃない。
ただクリアするだけで、である。
最初、いきなり2列目あたりで進めなくなって、自信を喪失した。
ま、結局は出来たんだけど。
しかし、じゃあなぜクリア出来たんだろうって考えたときに、自分は別にリズム感がよくなったわけじゃない、という事実に気づかないわけにはいかなかった。
私はただパターンを覚えて、リズムの変調に備えたに過ぎなかったのである。
リズム感はある程度元々あったんだろ。
リズム感が急に成長したわけじゃない、という結論に達した。
逆に言うと、誰でも成長が感じられるように覚えゲーの要素を多めに盛り込んであると考えるべきかもしれないが。

この「リズム天国」シリーズは、リズム感は鍛えられるというコンセプトで創られているとどっかで読んだ記憶があるんだけど、ホントかなって気がしてきた。
リズム感がそもそも無い人ってどんなに努力しても出来ないんじゃないか。
あるいは、成長は余りにも緩やか且つ微少であって、なまじっかな努力では到底おぼつかないのではないか。
とすれば、全然出来ない、という人が実はかなりいるんじゃないか、ネット上では言えないだけで。
楽しめないっていうと、恥ずかしいから黙ってる。
私も2列目で挫折しそうになったとき、このゲームをやり始めたこと自体を黙っていようと思ったもんね。

だからこそ、一番最初のタイミング合わせの後に、「合わなくてもあんまり気にしないでね」みたいなことを言ってくるんだろう、ゲームの方が。
プレイを評価するのが社会的権威を持たない「謎のリズム組織」なのも、腹を立てるのがマンドリコだったりするのも、任天堂的な気遣いといえば、そうなのかもしれない。
物差しである以上、どうしたって出来る人と出来ない人が出てくるわけで、それを怖れずにリリースしてきた任天堂はさすがだ、とも言えるか。


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