推理小説において「フェア(fair)」とは、どういうことなのか? 私が思うにおそらく、主人公と読者が公平である、同じ情報を持っている、ということであろう。 書き手からすると、正解へと至る情報を提供するんだけど、如何に気づかせないようにするか、が腕の見せ所になる。 ゲームであってもきっと同じだろう。 ただし映像が使えるから、手法は違うかもしれない。 ホントはやりたくなかったんだよ、『春ゆきてレトロチカ』。 もう動画を早送りなしで見続けるなんて不可能だもの。 それでも「プレイヤーはフェアに作られたミステリに挑むことができます」と煽られては、やらないわけにもいかない。 筋トレしたり、経済ニュースを読んだりしながら、どうにかこうにかやり遂げました。 ホントにしんどかった。 具体的なことは書かないけど、エンドロール後の話を書くので、何も知りたくない方は読み進めないでください。 問題は肝心の「フェア」の部分。 これが全然わからなかった、1回目のエンドロールまでは。 基本的に創り手の考える筋道をなぞるようなゲームになっており、謎に挑んでいる、という手応えはなかった。 ゲーム部分はほぼ作業だな。 いったいこれのどこが「フェア」なのかな?と首をかしげながらエンドロールを観ることになった。 まあ、実際にはよそ事してたから、エンドロールは見てないけどね。 しかし、である。 エンドロール後の終章で「フェア」の意味が分かった。 犯人は捕まえても、まだ明らかになっていない謎がここで明らかになるのである。 ここはゲームじゃない。 ほとんど観るだけ。 でも、さすがにやられた、と思ったね。 完全にミスリードされてた。 それも実写映像ならではのやり方で。 過去の出来事を主人公の頭の中で現実の人間に置き換えて再現した映像をプレイヤーは見ていて、役者さんと登場人物が一致しないことは分かってたんだよ。 でも、それがゆえにあれを見逃していた。 完全に騙された。 ありがちなのに気づかないなんて、めっちゃ悔しいわ。 この章で、今までちりばめられてきた手がかりを映像で突きつけられて、なるほどフェアだと納得せざるを得なかった。 これはテレビゲームにする価値のある作品だったよ。 この物語は、不老の実というありえないものが核になっていて、私はあんまり好きじゃないんだよ。 ゲームしてる最中はアホかいな、と思ってた。 でも、不老の実を想定しないと100年の物語にならないから、仕方ないのかと思い直した。 今どきこんなゲームを創ってくれる人がいて有り難いことです。 |