罪と罰、その他

それぞれの楽しさ、それぞれの素晴らしさ 2000_12_02

 

「こんなせわしないゲーム、かなわんなあ」と思った。
それは64で先頃発売されたアクションシューティングゲーム、『罪と罰』をプレイしはじめたときのこと。
私はZボタン押しっぱなし連射機能があることに気付いていなかったのである。
左手の人差し指でZボタンを連打するというのは、ことのほか疲れる動作で、私はなかなか2回目のプレイをする気になれなかった。
その時、私はつい先日終わったばかりのゲームを思った。
「ああ、『エターナルアルカディア』はラクで良かったよなあ。
 あまりの遅さにイライラさせられっぱなしだったけど、こういう意味では辛さを感じることはなかったよ。」

一つ『エターナルアルカディア』だけではなく、RPG全般に言えることかも知れないが、プレイヤーはな〜んにもやってないんだけど、なんかしているような気がする。
たいして努力してないんだけど、なんか達成しているような気がする。
だから楽しい。
そんなところにRPGの素晴らしさがあるんだし、平素疲れ切って努力する意欲を失っている日本人にはうってつけなのかも知れない。

話は変わって、『エターナルアルカディア』をプレイしはじめた頃のこと。
私は「なんだこりゃ?!」と思った。
余りにも喜び密度が低い。
たまたま平行してプレイしていたのが『デッド オア アライブ2』だったこともあり、それは際立って感じられた。
そして思ったのだ。
「そりゃ面白いよ、格闘ゲームは。
 喜び密度が違うもん。
 技の出が遅いったって、数フレームだもんね。
 コンマ1秒、2秒でしょう?
 その中で相手の技を判別したり、あるいは一つの技に山を張ったりするわけですよ。
 そりゃ面白くないはずがないよな。」
平たく言えば、良くできた格闘ゲームというのは、大変素晴らしいのである。

さて、はじめに戻って『罪と罰』。
連射機能に気付いてからは、大変面白く感じられるようになった。
雑魚キャラを次々と破壊していく喜び。
アクションシューティング特有の学習型なので、上手くなればなるほどまた楽しくなってくるのだ。
今はまだスコアアタックを考える段階ではないけど、私は、なんとしてもノーコンティニュークリアしてみたいという願望に駆られている。(レベルイージーでないと無理っぽいが)
やっぱりこのゲームも素晴らしいのである。

こうして考えてみると、どうもゲームというやつはジャンルが違うと面白さもそれぞれ違うような気がする。
しかも、その面白さは人によって、あるいは同じ人でも心理状態によって異なるようだ。
そして、それでありながら、やはり良くできたゲームというのは、どれもそれぞれに素晴らしいのである。
ゲームというやつは、なかなか量り知ることのできないものだなあ、と改めて思った。


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