レンタヒーロー No.1
荒削りではない 2000_06_18
「レンタヒーロー No.1」が終わった。
どう評価を下したらよいものかわからないので、終わったときに私の口から
こぼれた言葉を記しておく。
『うん、そうだな、面白かった・・かな。』
何でもMD版の「レンタヒーロー」は一部で非常に人気があり、その人達に
とってはこのDC版は色々と議論の余地があるらしい。
しかし、私はMD版を知らないので、そういう比較はできない。
私はここで、このゲームを初めてプレイしたときから、ずっと気になってい
た事について書いておきたい。
私が一番はじめに気になったこと。
それは、扉を開けるときに一々扉の正面に向き直ってから、中にはいること
だった。
強いストレスを感じた。
プレイを続け行くと同じようなストレスをそこかしこに感じるようになり、
何でこんなもん直さなかったんだ?という疑問が沸いてきた。
そんなに難しい事じゃないだろうに・・。
そんな疑問が沸いてくるのは、他の部分を割と気に入っていたからかもしれ
ない。
キャラが向き直ったり、歩いている状態でないと階段を下りられなかったり、
走っているとキー入力を受け付けない、という問題。
それは要するに、作っているパーツとパーツのつなぎ目を、とりあえず間違
いのないように接合しておこう、ということなのである。
局面局面で上手くつながるように調整する手間を惜しんだのだ。
いや、事情を酌んであげれば、手間をかけられなかったというべきか。
元々このゲームはコアなセガファンの中でもごく一部の人たちが盛り上がっ
ておし進めた企画であり、売れる見込みがあまりなかった。
そのため、GOサインは出たものの、人的リソース及び開発期間は相当制限
されたものであったに違いない。
そういった中で、壁にからだがメリ込んだりしないように、あさっての方向
を向いて喋らないように、との配慮だったろう。
ゲームを作っている人たちが、このストレスに気付かないはずはない。
気付いていたんだけど、とりあえずほかっておいたのだという気がする。
優先度の高い方からやってゆかねばならないから。
このゲームの面白さの本質がどこにあるかといえば、この世界観にあるのだ
ろう。
誰でも簡単にヒーローになれる。
ヒーローが街を彷徨いていても変じゃない世界。
その世界を、限られたリソースの中で作るためのスケジューリングが生んだ
ストレスだったのだ、私が感じていたのは。
それは『荒削り』というような言葉で呼んでよいものではないと思う。
しかし、これは正解だったのだ、というのがエンディングに辿り着いた私の
結論だった。