押忍!闘え!応援団

液晶に映るもの 2005_08_01

 

DSで先頃発売された『押忍!闘え!応援団』をプレイしていて、なんだか違和感を感じていた。
初めはこの違和感の原因が分からなかった。
しかし、そのうちハッキリとその原因に気付くことになったのである。

例によってこのゲームの説明はしないんだけど、一つだけ説明しておかければならない。
このゲームではしばしば液晶が暗転する。
タッチスクリーン側と上液晶側で演出をやりとりするために、何も映っていない時間があるのである。

そうすると、そこに自分の顔が映る。
顔といっても液晶が小さいので目の付近だけなのだが。
これがキモい。
目が常にへの字になっているのである。
これが違和感の原因であった。
そのことはつまり『押忍!闘え!応援団』がとても面白かったという事でもある。
念のために書いておくと、それは私の顔がキモい事を意味しているわけではなく、キモくないことを意味するものでもない。

この面白さはなんだろうな。
やってることは単なるリズムゲームなんだけど、そこから得られる喜びは単なるリズムゲームではない。
上画面で展開するバカバカしいストーリーを応援する、ってところがみそなんだ。
バカバカしいってのは美しいからね。
そして、応援するって事は勝手にその美しさに乗っかることなんだな。

最後の「フレーフレー○○!」のところに差しかかると、なんだか涙が出ちゃうんだよ。
バカバカしいのに感動。
何回やっても何故か涙が出ちゃう。
美しさに乗っかっちゃってるとしか思えない。

この土日はずっとこのゲームやってたな。
最初の印象としては、やり込んだりするゲームじゃなさそうだな、と思ったけど、これはちょっとやってみたい感じ。
久々に本物に出会った。
そんな感覚に見舞われた週末だったな。



<余談>
マジで何回やっても「フレーフレー○○!」の部分で目が潤んじゃう。
で、ちょっと待てよ、と思った。
液晶に涙が映り込んだら話として非常にまとまりがいいな、と思ったのだが、さすが見えない。
ムリ。



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