任天堂はゲーム界の教育者である、と『スーパーマリオ3Dランド』をプレイしたときに私は感じた。 テレビゲームに初めて触れる人であっても、あれ一本最後までプレイ出来たら、もう熟練のゲーマーと言って差し支えない。 あれが出来れば、大抵何でも出来るよ。 最初はとにかく何が何でもクリアさせる。 クリアする喜びを教えつつ、少しずつスキルアップさせていくのだ。 スキルったって、パラメーターが伸びるわけじゃない。 プレイヤー自身が成長していくのである。 当然それは苦しい行為なので、どうしてもはじめはまずクリアする喜びから提示していかなければならない。 特に3Dになると一次元増えるから、はじめの方は死ぬほど簡単になってしまうのもやむを得ないだろう。 マージンを広く取らないといけないからね。 しかし、2年前とは少し事情が変わってきたんじゃないか、と思うことはあった。 同じような作品であっても、『スーパーマリオ3Dワールド』は立ち位置が難しいかもしれない。 というのも、今は簡単なゲームが巷に溢れているからだ。 それも無料で。 無料だから尺を稼ぐ必要がない。 すぐクリア出来ちゃってもイイんだ。 プレイから得られる喜びを保証する必要もない。 何にも考えないでただ簡単にしただけのゲームが、それこそ山ほど存在する。 そういうゲームたちと『スーパーマリオ3Dワールド』の最初の方を比べたときに、果たして見分けがつくだろうか、って気がするんだ。 ただ簡単なだけのゲームと、考え抜いて簡単にしてあるゲームの見分けが。 もちろん、やり込めば違いは分かると思うよ。 ちょっと無理をすれば最初の方でも、なるほど、と思うからね、『ワールド』は。 でも、それはわからんわな、初めてやる人には。 だから、かわいい推しを入れてきたんだろう。 他に無料で簡単なゲームがあるんなら、ゲーム初心者は『ワールド』を選択しないだろって気がするのである。 結局いつも連中が遊んでるだけ。 学校が任天堂しかないなら、任天堂はゲームの楽しさを教えることが出来るけれども、他に学校があったら、たとえ出来が悪くても他にあるなら、教えることは出来ないかもしれない。 ということは、入学する段階で、なにかしらメリットがなければいけないんじゃないか。 一体何があるんだろ? ゲームが出来る子は頭も良いってデータでもあればいいんだけどね。 あればあったで、それもまた困るか。 ゲームが人を測る物差しだと公言は出来ないしな。 |