バイオハザード0_2

魅力的な「理由」 2002_12_11

 

物事には「理由(ワケ)」がある。
人が何かしらするからには理由があるのである。
理由は一つには限られないかもしれないが、理由が明らかになっていないと不安なので、やはり何か「これだ!」という理由を見つけずにはいられないのが人間というものだろう。
じゃあ、「バイオハザード」シリーズがGCに移転してきたのは何故なのか?
PS2で出した方が儲かるんじゃないの?
私はその理由を『バイオハザード0』から導き出したい。


「お客様、攻略本も扱っておりますが、如何ですか?」
『バイオハザード0』を買うときに、さくらやの店員が勧めてきた。
要らない、と答えると、事もあろうか、
「攻略本ナシでも大丈夫ですか?」
とまで彼は言い放った。
この屈辱!
誰に向かってモノを言っとんねん!と思ったが、私が誰だか彼は知るはずもないし、知っていたら尚更勧めてきたかもしれない。
彼のお薦めは決して杞憂ではなかった。
従来作品に比べると難易度は相当高めに設定してあったのである、このゲームは。

『バイオハザード0』はアイテムがキツイ。
足りないのである。
弾薬も回復アイテムもギリギリしか用意されていない。
今までの「バイオハザード」では考えられないほど、ピッタリの量しか置いていないのだ。
中盤で「グレネードランチャー5発」と「拳銃15発」しかなくなったときは、かなり緊張した。(グレネードランチャーはボス戦でしか使わないから、実質二人で15発しかない状況)
火炎瓶の使い方に序盤で気が付かなかったら、少なくとも弾薬は絶対に足りない。

そのため、私は序盤から何度も自主的にリセットをかけた。
不用意なダメージを食らったり、無駄弾を使ったときなどは後々のことを考えて、死ぬ前にリセットするのだ。
特に大型昆虫ゾンビと戦いは何度もやり直した。
はじめはなんというメンド臭いゲームだと思ったのだが、やっているうちに「これは面白い!」と感じるようになった。
最小限のダメージで無駄弾を使わずクリアするということ。
上手にプレイするということ、言った方が良いかもしれない。
今までの「バイオハザード」では、ごく一部の人たちだけが知っていた喜びのはずである。
弾薬や回復薬が十分にある状態ではヘマってもそのまま進んでしまうから。

ひょっとして、この喜びを提示したくてGCに移ってきたのか?
私はそんな気がしていた。
だってこっちの方が面白いんだもん。
しかしそのためには、繰り返しプレイに耐えるプレイヤーが必要だ。
それに耐えられるのはGCユーザー層しかない、とは考えられないか?
そしてそこに、「GCに移ったばっかりに売り上げが落ちたとしても、それはそれでイイじゃん!」という判断があったのならば、それは意地である。
我々はその意地にプレイで応えなければならないだろう。

「上手にプレイする喜びを提示するため」。
それが「バイオハザード」シリーズがGCに移ってきた理由だとしたら・・・。
それは、「GCが現行機種の中で最も表現力が高いから」という理由よりも、あるいは「ゲームデザインしやすいから」という理由よりも、ひどく魅力的であるように私には思えた。





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