CRAZY TAXI2、やり込むって、とってもラクチン

やり込むって、とってもラクチン 2001_08_20

 

この2週間ほど、ゲームしていて辛い!ということが全くなかった。
というのも、新しいゲームに取り組んでいなかったからだ。

いま私がプレイしているのは、『CRAZY TAXI2』だけである。
取りかかっていた他のゲームには一通りの決着を付けた。
もう苦しさはない。
『CRAZY TAXI2』の楽しみ方はお手の物である。
こうやって『CRAZY TAXI2』だけで遊んでいると、新しいゲームに取り組まず、同じゲームをひたすらにやり込むということは、実はとてもラクチンな事なんじゃないか?という気がしてならない。

だって、私はいつも感じてきた。
ゲームの苦しさは立ち上げにある。
「如何に立ち上げるか」がゲームを楽しむ鍵になるのだ。
だから立ち上げの時には、ちょっと長めに時間を確保するとか、発売日にゲームを買うとか、開発者のインタビュー記事を読むとか、何か工夫をすることが望ましい。

もちろん、それはメンドくさいことだ。
そんなに面倒なら立ち上げなくてもいいじゃん!って考えても不思議はないだろう。

私は基本的にやり込みゲーマーではない。
全ての素晴らしいゲームをプレイしてみたいのである。(ただし、スクウェアとソニーを儲けさせないで)
一方で、やり込みゲーマーという人たちを私は尊敬していた。
通り一遍のプレイでいったい何がわかるというのだ。
やり込む方が良いに決まっているじゃないか。
そして、それは難しいことだと思っていた。

しかし、そうではないのかもしれない。
やり込むことの方が、ごく当たり前なのかも知れないのだ。
だってこんなにラクチンなんだから。
ゲームの楽しさだけを追いかけていったら、ごく自然とやり込んでしまう。
そういうものなのかもしれないし、そうあるべきなのかもしれない。


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