この2週間ほど、ゲームしていて辛い!ということが全くなかった。 というのも、新しいゲームに取り組んでいなかったからだ。 いま私がプレイしているのは、『CRAZY TAXI2』だけである。 取りかかっていた他のゲームには一通りの決着を付けた。 もう苦しさはない。 『CRAZY TAXI2』の楽しみ方はお手の物である。 こうやって『CRAZY TAXI2』だけで遊んでいると、新しいゲームに取り組まず、同じゲームをひたすらにやり込むということは、実はとてもラクチンな事なんじゃないか?という気がしてならない。 だって、私はいつも感じてきた。 ゲームの苦しさは立ち上げにある。 「如何に立ち上げるか」がゲームを楽しむ鍵になるのだ。 だから立ち上げの時には、ちょっと長めに時間を確保するとか、発売日にゲームを買うとか、開発者のインタビュー記事を読むとか、何か工夫をすることが望ましい。 もちろん、それはメンドくさいことだ。 そんなに面倒なら立ち上げなくてもいいじゃん!って考えても不思議はないだろう。 私は基本的にやり込みゲーマーではない。 全ての素晴らしいゲームをプレイしてみたいのである。(ただし、スクウェアとソニーを儲けさせないで) 一方で、やり込みゲーマーという人たちを私は尊敬していた。 通り一遍のプレイでいったい何がわかるというのだ。 やり込む方が良いに決まっているじゃないか。 そして、それは難しいことだと思っていた。 しかし、そうではないのかもしれない。 やり込むことの方が、ごく当たり前なのかも知れないのだ。 だってこんなにラクチンなんだから。 ゲームの楽しさだけを追いかけていったら、ごく自然とやり込んでしまう。 そういうものなのかもしれないし、そうあるべきなのかもしれない。 |