流星のロックマン2 ベルセク×シノビ

電波体はムチャ 2008_02_12

 

また買ってしまった、『流星のロックマン2』。
もういい加減マンネリしているのは確かなのだが、それでもやらずにはいられない。
「ロックマンエグゼ」から続くこの強引な世界設定が私は大好きなのである。

しかしながら、今回はさすがに目新しさはなかった。
引きこもり主人公の口元もへの字から逆への字に変わって、ただのイケメンになってしまったな。
ごくごく普通だ。
ツンデレ委員長がやけに目立っているあたり、これもありきたりな感じがする。
ちょっとがっかりした。

ただ、そもそも電波体という設定はやっぱり凄いな。
常識を備えた人間では思いつくはずがない。
あり得ないもん。
「エグゼ」と「流星」を比較して考えていたんだけど、やっぱり電波はないわ。

人間がネットワークの世界に入るってのは、そんなに突拍子もないアイディアじゃない。
1982年に公開された『トロン』っていう映画があって、すでに人間がコンピュータの中に入っていた。
日本ではPC8001が発売されたばかりで、ネットワークという言葉は一般には知られておらず、音響カプラで一対一の通信を行っていた時代のことである
コンピュータあるいはプログラムってのは人間の仕事を肩代わりするから、擬人的なイメージを持ちやすいんだろうな。

そこへいくと、電波って単体ではなんにも出来ないからね。
振幅変調か周波数変調された波が拡散してるだけ。
仕事してるのはチューナーの方だな。
にもかかわらず、電波に人格を見いだすってのはちょっと尋常じゃない。
普通あり得るかな?

今書いていて思いついたけど、ひょっとすると無線LANから発想したのかもしれない。
知識のない人なら、電波もネットワークの一部にみえる。
電波もプログラムもおんなじジャン!ってひらめいちゃったのかな。
いきなり電波に人格を見いだすのはちょっと無理だろー。
というか、ある程度の常識を持った人間にはこんなストーリーは思いつくはずがない。

ネットワークを電波に置き換えたことによるメリットはあるんだ。
「エグゼ」の時はネットワーク界と物理世界を分けて設定しなければならなかったが、「流星」では同じ画面上で扱える。
おかげで、エグゼのシステムをそっくりそのまま取り込みつつ、物語は作りやすくなった。
確かにこれを思いついた人は凄い。
こういうあり得ないことを平然と書けるのは、やっぱりプロだからだろうな。
恥も外聞もない。
書かなきゃならないんだよ。

私は「流星」シリーズにはどうも違和感があるんだけど、やっぱりこのシリーズからは目が離せないような気はしている。
凄いよ、この世界観。
次回は宇宙を漂いまくる予感。


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