宝島Z バルバロスの秘宝_2

原体験 2007_11_08

 

私にとって懐かしい時代というのはファミコン時代ではない。
ファミコンで遊んだことなどほとんど無いのだ。
従ってファミコンが世界を制覇する主たる要因となったアクションゲームに対しても、あるいは日本特有のRPGに対しても私はいっさいの郷愁を持たないのである。

私にとってのゲーム原体験はアドベンチャーゲームだった。
なぜなら私の主戦場はパソコンだったからである。
パソコンは画素数ではファミコンを圧倒していたが、スプライト機能がないのでアクションなんかは不得意だったのだ。
もともとPCにはグラフィックスがない時代から「テキストアドベンチャー」という文章のみのモノがあったぐらいで、得意な方面に発展していくのは当たり前かもしれない。

当時のアドベンチャーゲームというのはコマンド入力方式である。
それも輸入モノが多かったので、初期のモノは英語だった。
プレイヤーは「動詞+名詞」を入力することによってプレイを進めていった。
この辺の事情は前にも書いたことがあるので重複することになるが、コマンド入力方式は面白かった。
まず目の前にある道具の特性と周りの状況から事態を打開するための方法をイマジネーションすることが楽しいのである。
そして、次にそれをコマンドに変換していく。
コマンドに変換していくこともゲーム。
なぜならば、創り手が想定する単語とプレイヤーが想定する単語が一致するとは限らないからだ。
一致する単語探すこともまた楽しかったものである。

しかしそれはまた、イマジネーションは正しいのに単語が一致しないためにいつまで経っても解けない、という状況を生み出していた。
やはり解けないと面白くないし、時間も無駄に過ぎていく。
結局コマンド入力方式は選択肢方式に駆逐されてしまうのである。
それは仕方がないことだったように思うし、私もそれを受け入れた。

私がいま昔話をくり返し書いているのは、もちろん『宝島Z バルバロスの秘宝』について書かなければならないからである。
これは素晴らしいな。
何が素晴らしいって、ポインティングとモーションキャプチャーがコマンド入力の役割を果たすのだ。
ポインティングすることで名詞を特定することが出来るし、モーションキャプチャーは要するにボディーランゲージと同じで単語の相違をなくしてしまう。
Wiiリモコンによって、コマンド入力方式アドベンチャーのイマジネーションする喜びを今再び満喫することが出来るのである。

もっとも、そこはそれポインティングできるモノははじめから決まっているし、認識する動作も限られている。
動作は常に一方向にのみ認識されるようだ。
これは要するに限定を入れているわけだな。
動作の認識はある程度自由度を殺した方がプレイしやすい、ということである。
それは同時にイマジネーションにおけるプレイヤーの寄与分を減らすことにもなるんだけど、それは時代の要請で仕方ないことだろう。
イマジネーションから得られる喜びを多少小さくしても、負荷を下げて短時間あたりの喜びを補償しようと考えるのは正しいはずだ。
私はこの判断を支持したいと思う。
解けない人向けにヒントがあるけど、ヒントがあったっていいさ。
謎が解けなくて、採用されるかどうか分からない質問ハガキを山下さんのところへ送るなんてのは、今どき流行らないよ。

ファーストタッチからずっとこのゲームに対する私の印象は変わらない。
これは凄いゲームが登場して来たな。
Wiiでゲームが創られることに初めて同意できる作品である。
私の愛したアドベンチャーゲームの時代が帰ってきそうだ、という嬉しい予感があった。

もっとも残念なことに、この予感はいささか外れていたようである。
『宝島Z バルバロスの秘宝』は大して売れてもいないし、ネット上でそれほど高評価というワケでもなさそうだ。
お陰様で私は安心して書くことが出来るのだが。

やはり私と同じ原体験を持っている人の絶対数が少ないんだろうな。
私が子供の頃、パソコンが家にあるのはクラスに一人か二人ぐらいだった。
それが故に優越感もあったわけだが。
これは、マイノリティであることが特別な喜びをもたらすと同時に、ある種の寂寥をも甘受せしめるということを示しているのである。


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