スーパーマリオサンシャイン_2

約束 2002_08_28

 

『スーパーマリオサンシャイン』が終わった。
終わったと言っても、エンディングを見たというだけのことで、パーフェクトまで持っていったというわけではないのだが。
エンディングを迎えたとき、「シャイン」は79個に達していた。

本当にすごいゲームだ、『スーパーマリオサンシャイン』は。
プレイヤーに、つまり私にこれだけの難しさを乗り越えさせる事が出来るなんて。
今回は私がプレイしながら考えていたことを書いておきたい。

『スーパーマリオサンシャイン』というゲームは非常に難しい、と私は感じていた。
私は、ドルピック島のトロピカルな住人達と語らいつつ課題を見つけてはクリアしていくことに喜びを感じながらも、一方でやはり苦しさも感じていたのである。
先にこのゲームの難しさ、というか苦しさについて説明してみたい。

やはりそれは「疑似3D」ということだと私は考えている。
ビデオゲームの世界の3Dというのは、本当の3Dではない。
3Dの投影図である。

私たちは通常両目の視差を解析して空間情報を得ている。
脳が自動的にやってくれているわけだ。
しかし、ゲームの3Dは所詮3Dを投影した平面図に過ぎないので、視差はないのである。
だから、視差は自分でつくるか、ゲームを2Dとして扱うかのどちらか、あるいは両方を私たちはやらねばならない。

それを実現するのが視点を動かす右アナログスティック。
『スーパーマリオサンシャイン』では、とにかく右のアナログスティックがすごく重要なんだ。
空間を把握するために、視点を動かす。
その上で次元を一つ落とすために、真横なり真上なり見やすい視点で操作する。
きちんと視点を変えていけば、そのゲームは2Dの時と同じ感覚で扱えるようになるのだ。
視点をマメにマメに動かしていく。
絶対に手を抜いてはいけない。
メンド臭がっていると、やたらめったら落下する羽目になるのだ。
そういうゲーム仕立てが可能なコントローラーをGCは持っているのである。
そのためのアナログスティック、そのための大きなAボタン。

しかし、これが凄く苦しいな、と私は思ったのである。
一番はじめに右アナログスティックの使い方に気付いたのは、ボス戦のために自分の背後を見たかったからなのだが、正直酔った。
しばしばゲームのレビューでは「3D酔い」なんて言葉を使うことがあるが、まさにアレである。
イヤだなと思って2〜3日ゲームが手に付かなかった事もあったし、アナログスティックからAボタン、Aボタンからアナログスティックという操作をモノにするのにも相当な努力を要した。(誤入力対策にAボタン上を基準にする)
もちろん、出来るようになってしまえば、大したことではないように思えるのだが。

私は「疑似3D」を克服していく中である事を考えていた。
それは、なぜこんな苦しさを乗り越えなければならないのか?という事である。
こんなに苦しいんだったら、やらなくちゃいけない理由なんか無いじゃない!
どうしてなんだろう?
序盤は疑問に思いながらのプレイだった。

それでも私はプレイを重ね、一つ一つシャインを獲得していくごとに、苦しみよりも喜びの方が大きくなっていくのを感じるようになっていった。
ゲームというものは、慣れると負荷が小さくなり、理解を深める事でより楽しめるものなのだ。
そして、ああ、これは約束だったんだな、と思うに至ったのである。
それはゲームと私達との間に交わされた約束。

必ずゲームは私達に喜びを与えてくれる。
その代わり私達はそのための労を惜しまない。
喜びは必ず負荷を乗り越えた向こうにある以上、先に努力するのは私達の方である。
そして『スーパーマリオサンシャイン』はゲームを代表し、私達との約束を果たした。
見よ、この輝く太陽を!
語れ、ノーテンキな住人達と!
壁を蹴り、海岸を駆け回れ!
そして放水せよ、人語を操るポンプを友に!
それはゲームが私達に約束したものなのだ。
(もちろん約束を果たすのは、人によっては「ゼルダ」であったり「ドラクエ」だったりするんだろうけどね)

誠にゲームという奴は律儀者なのである。
たかがゲームと言うなかれ。
ゲームほど信頼できるものを私は他に知らない。


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