『逆転裁判3』は凄かったな。 クリアして日が経つにつれて、この思いはどんどん強くなっていく。 なんかもう既に思い出の中で美化されている感もあるのだが。 凄かったな、凄かったな、と思えば思うほど、なんで凄かったのか、ということを考えずにはいられない。 なんとか「逆転裁判」シリーズを貫くような理由付けが出来ないだろうか? 今回『3』をやっていて、ゴドー刑事のコーヒーがひどく印象に残った。 コーヒーカップをダンっと叩き付けたり、コーヒーをブフォっとはき出したりするシーンが法廷編ではしばしば出てくる。 これが何を表しているのかというと、なるほど君に怒りをぶつけている様を表していたり、ダメージを食らった様を表しているのだ。 もっと言うとそれは、言葉の力を可視化するということ、あるいは可聴化するということである。 当たり前だけど、これは大切なことなんだ。 言葉をパンチに見立ててみると良くわかる。 どれほど凄いパンチを繰り出しても、当たらなければ見ている側にはわからない。 パンチを食らった側の顔がゆがんだり、マウスピースが吹き飛ぶことで、私たちはそのパンチの破壊力を知るのである。 作品の書き手がどれほど効果的な言葉だと思っても、それが伝わらなければプレイヤーを納得させることは出来ない。 だからその言葉の力を表現するのである、投げつけるコーヒーカップで、あるいは吹き出すコーヒーで。 キャラクターをたてるためだけでなく、言葉の力を表現するためのアイテムでもあるわけだ、コーヒーは。 伝わりさえすれば、必ずしもロジックに納得してなくても構わないんだ、プレイヤーとしては。 私たちは、そうなんだと思ってゲームを進めていく。 結局のところ、巧舟(たくみしゅう)という創作者が、キチンと伝えようと思ったことがこのゲームの素晴らしさの起源なんだと私は思うな。 どうやって伝えるのかということを考えながら、ディレクター兼シナリオライターとして彼が機能したことが正解だったんじゃないか。 そういう意味では、GBAならではの小規模開発も良かったんだろうな。 全体を掌握できるから。 まったく、恐れ入谷の鬼子母神です。 |