カプコンがDC参入第一弾に「パワーストーン」をぶつけてきたとき、「あっ、また様子見してやがんな!」と少し腹立たしかった。 本気で取りかかるつもりなら、ゲーセンのメジャーなタイトルを出してくるはずだと思ったからだ。 ところが、実際に「パワーストーン」で遊んでみると、意外な新鮮さに包まれていることに気付かされた。 このところ感じていた、対戦ゲームへの閉塞感のようなものを打破する力がある。 とにかく大雑把だ。 出始めが何フレームとか、硬直が何フレームとか、まるで気にする必要がない。 フィールドを駆け回り、使えるものは何でも使って戦う。 圧倒的優位に立つスーパーモードになるための石取り合戦(3つパワーストーンをゲットすると変身できる)は、心理的な戦いの様相を呈している。 対戦ゲームとしては新機軸といえる要素を持っていると感じた。 このところ、閉塞感について考えていた。 一大ブームとなった「ストリートファイター2」は、その後、多くの類似ゲームを生み出した。 どれもこれも同じようなプレイ感。 そこに閉塞感が生まれた。 「バーチャファイター」はそれを突き破った。 確かにそこに人がいるように思えた。 それは技術の進歩がもたらしたブレイクであったろう。 よく考えてみると、「パワーストーン」も技術の進歩がもたらした変化だ。 「バーチャファイター3」がキャラクターへ注力したパワーを、フィールド全体に拡張したといえるんじゃないか? そして、そこには同じように閉塞感を打破する力があるような気がしている、 「バーチャファイター」から始まる3D格闘ゲームに対する。 この感覚を確かめてみたくて、久々にゲーセンの門をくぐった。 帰り道にあるのに久しく入っていなかったのだ。 パワーストーンを探したが、どこにもその姿を認めることは出来なかった。 セガが運営する中規模のゲームセンターに置いていないというのは、どういうことだろうか? NAOMI基板は、まだ量産されてないのかな? それよりも気になることがあった。 入ってみると、何となく雰囲気が悪いのを感じたんだ。 熱気が感じられない。 心なしかプレイヤーは疲れ切っているように思えた。 それを象徴するかのように、かつて私が「怒首領蜂」をプレイしたエリアにはメダルゲームが拡張されていた。 そして、競馬ゲーム台に寄りかかるようにして、無気力な大人が画面を見つめていた。 そこには閉塞感が充ちていた。 打破しなければならない、そう思った。 「パワーストーン」は、その力になり得ないのだろうか? とにかく、まず戦ってみたい。 |