毛糸のカービィ

言葉は要らない 2010_10_28

 

今どきのゲームは解りにくい。
解りにくい、というのは何も操作方法が複雑だ、というだけじゃなく、どうしたらどうなるのか、がプレイヤーには解らないのである。
特にゲームに慣れていない人にとっては。
今どきの人間は成果が出ないことを酷く怖れるので、これだけ頑張ったらこれだけ喜びが得られるであろうという見込みがないとなかなかやろうとしない。
いわば喜びの予見性の問題だな、これは。
我々は大体相場を知っているから頑張れるけど、相場を知らない人はそうじゃない。
だから、どうプレイしたら楽しくなるのかを伝えることが今ゲームに求められているのではないか。
かといって、露骨に教えられてしまうと、それはそれで困るけど。
なんてことない行為を凄いことなんだと思うことで喜びを感じているわけだから、私たちは。
そこはさりげなく伝えて欲しいものである。

ところで、『毛糸のカービィ』をクリアした。
何せゲームオーバーがないので、クリアと言って良いのかわからないが、とりあえず最後まではやった。
一応、全ステージやったと思う。
とにかくこれは凄いゲームだった。
何が凄いって、やはり伝える能力が他のゲームと全然違う。

まず最初に驚いたのは操作方法を説明しないことである。
ストーリーは絵本を読むようにナレーションが入るけど、操作の説明に言葉を使わない。
掲示板みたいなヤツを使って絵で教える。
カービィが変身してステージごとに内容は変わるのに。
言葉で説明しないと解らないようでは駄目だ、という明確な指針があったのかもしれないね。
子供向けだし。

でも、凄いのはそれだけじゃなくて、マッピングが凄いんだ。
どう遊んで欲しいのか、が一目でわかる。
主にビーズ(裁縫に使うやつ。マリオでいうコインに相当するもの)の置き方なんだけど、ここでジャンプして、ここでパラシュート開いて、こういう軌跡を辿ってねっていうことをきちんと伝えているのである。
スピードを出してプレイする面なんかでは、このポイント上に行くか下に行くか決めていただきます、っていうのが何となく解るように創ってあるんだよ、これが。
あるいは、ここで上下入れ替わると美味しいです、まあ、替わらなくてもいいんですけどね、ってステージが語りかけてくるのだ。
どうやったら楽しくなるのか、がこんなによくわかるゲームもちょっと珍しい。

それも任天堂らしく、価値のインフレを起こさない形でやってるのがまた凄い。
ビーズやらインテリア(部屋をコーディネートするためのアイテム、各コースに3つ置いてある)だけだからね、モチベーションは。
それが出来ちゃうのは、ゲーム全体を包み込む優しさに満ちあふれた世界が構築されているからだろう。
一見の価値はあるよ、これは。
見た目は2Dだけど、今どきのゲームと比べても全然見劣りしない。
外注とはいえ、カービィを貸し出すだけあって、きっちり創ってある。
面白いかどうかは別にして、さすがは任天堂だと感心せざるを得ないな。



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